『思想』2024年7月号「帝国の叙法」を読んで

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とても興味深い巻頭言で、思わず一気に読み込んでしまった。まさに「たねを撒かれた」気がした。

出講する前に神保町へ寄り道する事を即断して今ブックセンターへ向かっている。
『思想』は果たして置かれているのか?

 

この「帝国史」論で「したり」と思ったのは das Heilige Römische Reich Deutscher Nation の存在についてである。自分は歴史学とは全く関係のない素人だが、この Karl der Größe 以来代々「ローマ皇帝」を受け継いだ君主を戴いた政治集合体は名前に「ローマ」がついているとはいえ、素人の歴史観からしても S.P.Q.R. (Senatus Populusque Romanus)とは内実何も繋がっていない事は明らかだ。

この「ローマ」とは後にカトリック教会という西欧におけるキリスト教の一大派閥を作る「ローマ大司教」が、信者となったフランク王国のカールに委ねたゲルマン民族諸国のアリウス派からの改宗を目的にした図版拡大政策の結果、800年に彼に授けられた「ローマ皇帝」の「ローマ」、すなわち「ローマ教皇」の「ローマ」を意味すると私は考えてきた。それがこの巻頭言で確認できた事は大きな喜びだった。

 

近世帝国と近代帝国を架橋して考える重要性は、歴史を今に活かすためには強く納得できる。そして20世紀までの、海や陸を具体的に支配して存在する Imperialismus に代わって、経済という手段で相手国の法を侵さずに着実に版図を拡大する動きーーこの最たるものがクローバリズムだろうがーーについて歴史学はどう捉えるのか興味を抱いた。

 

それから自分の専門と関係の深い Reich という言葉は歴史学ではどう捉えているのか知りたくなった。Reich は古代高地ドイツ語では rihhi でその語源は「支配者」を意味し、ケルト語の rī (王)からの借用語だという。羅甸語の rex にも対応している。ドイツ語圏は das Heilige Römische Reich から1871年das Deutsche Reich になりWWII後 Reichsländer はBundesländer になった。WWI以降ドイツ皇帝が存在しなくても、das Deutsche Reich だった。この「帝国」は一体何と捉えるべきかヒントが欲しい。

 

自分の専門では言語帝国主義という用語がある。この帝国主義にもリンガ・フランカを手段として積み重ねられた歴史がある。今では English がその対象であろうが、かつては κοινή, lingua latina, Français が君臨したし、植民地では Español, portuguêsが今でもその爪痕をハッキリと遺している。かつてネブリーハは『カスティーリア語文法』(1492)の序文で、言葉はその国と共に隆盛を極め、また滅びる、という事を書いた。今後も別の言語がその政治的・国家的趨勢と共に現れる可能性もある…。

 

神保町に着いた。早速ブックセンターへ。あった『思想』!間髪入れず購入。まだ5-6冊は平積みされている。興味にある方は急がれたし。