親の想いは複雑なんだよなぁ。

【贅沢な悩みは本人には切実だ】

あの娘は保育園の時から賢いのは直ぐに分かった。2歳でひらがなが読めた。就学前にローマ字が書けた。それは勉強してではない。ただ興味本位に目にしただけ。音楽的な才能はヤマハに通い始めた当初から歴然としていた。それは「才能」だと思っていた。でもそれは昨日ママさんから聞いて理解した。彼女はgifted だったのだ。後々彼女が滑り止めの早稲田大学に進学して悩んでカウンセリングを受けて分かったこと。IQが140を超えていること。しかし言語能力が大変高いのに,視覚は120と聴覚にくらべて20も違うことでアンバランスが顕著。文字を書く時点で思考はもっと先を行っているので,計算式を書いている途中で頭の計算結果よりも書く方が遅すぎて数字が正確に書き残せない。心が辛くなって受診したカウンセリングで,(自分は発達障害ではないかと疑って受信したそうだが、実際にはそうではなかったが)あの娘は鬱病ではなくて「双極性障害」だと明言された。親に内緒で通院した精神病院。「パパとママを悲しませたくなかった。」そうあの娘は告白したそうだ。——賢い子だけれど,大人になるにつれて周囲とも上手くやっていけるだろう,いつもジャングルジムに座ってクラスメイトの遊びを眺めていた小学1年生の我が子の姿を,ママさんは眺めながらジッと我慢してきたそうだ。しかしそれは誰にも言えない悩みだった。

独り浮いていた小学校時代,あの娘のアイデンティティーはヤマハのプロを目指す人々による演奏と作曲専攻クラスと知的欲求を満たしてくれる学習塾SAPIXの最上位クラスにあった。桜蔭を目指すクラスに在籍していたあの娘は女子学院の算数問題を数分で解いて全問正解,周囲の女子学院志望生徒達を唖然といわせ続けた。そんな彼女がイヤミに見える場合もある。彼女はgifted なだけ。努力に努力を重ねる子どもたちをよそに何事もないように全問正解して立ち去る。彼女には自然なことでも,普通の努力家達には嫉妬の対象だった。それが彼女にはなぜだか分からなかった。何も悪いことなどしていないのになぜ恨まれるのか?自分がバカを装っていれば誰からも好かれ,友達ができるのか?友達に飢えていた彼女は小学校ではヘラヘラ笑うバカになっていた。

(この子に普通の就職は無理だ。)そう思ったパパとママはあの娘に「好きなことをやりなよ,パパとママはアキホが働けるようになるまで頑張って応援するから。」そう言って大学卒業後も好きな道に進学して構わないと助言したそうだ。その一方で彼らは思ったそうだ。(アキホは30まで生きられるだろうか。)——その危惧は現実のものとなってしまった。JAZZサークルで,PITINA全国コンクールまで出場して入賞した程の音楽的才能があるお陰で,易々とこなしているアドリブのピアノ伴奏が買われて毎日のように演奏活動をしたことで,理系である彼女は単位を全く取得出来ず,翌年 gifted の才能で落とした単位を優ですべて取り返すようなハチャメチャな日々を過ごしたそうだ。大学4年生になる頃にはそんな無理な生活が祟って精神的には最悪の状態。通学するのすら恐怖でいっぱいになったという。希死念慮が怖くて家に帰れない。3階の自室から飛び降りてしまうのではないかと恐怖だったらしい。あの娘は死にたいなんてこれっぽっちも思っていなかった。でも希死念慮があの娘の行動を支配する。それが制御出来なくて,意を決して4年生は休学して,例え閉鎖病棟でも入院しようと決めていた矢先,あと数ヶ月で入院するというある日,希死念慮はあの娘を連れ去った。母親の在宅しているそのスイートホームで。発見した母親の焦燥感は一切の感情を喪失させ,幾度も歩道橋から下を眺めては逝けない自身を絶望させた。30どころか,あの娘は22で消えてしまった。

都市計画を勉強したい。ひとりぼっちで死んでしまう寂しい人々を見逃さない優しい街づくりがしたいから。——そんな心の持ち主が学ぶ先はただ一つ,gifted が多く集まる大学で,明治の黎明期から都市計画の総本山である東京大学。あの娘は調べに調べて将来どの教授の研究室に入るかすら決めていた。そして東京の私立女子御三家の筆頭である桜蔭生は東大に受かってなんぼ。落ちたら恥に思う文化の女子校。(令和5年の桜蔭卒業生231名中東大合格者72名早稲田146名,慶応102名)——現役時には滑り止めの早稲田には合格したが,東大に受からず浪人。翌年東大受験で字数制限の問題の字数を間違えるというあり得ないケアレスミスで不合格。不本意ながらも二浪はせずに早稲田に。コレが普通の人なら何も問題ない。しかしあの娘には問題だらけ。「学校大嫌い」という自己紹介を書くようになったという。JAZZサークルでピアノを担当し他のパートの先輩達と息の合った演奏をする毎日を過ごすうちに,先輩の彼女があの娘に嫉妬するようになる。あの娘は同性の親友が欲しくて堪らなかったのだが,同性からは嫉妬ばかりされたそうだ。何でもできるから。恋人を取られる恐怖を覚えられたから。——そんな下らないこと,と大人は,親は考える。しかし若い当事者には gifted なあの娘の能力はただの目の上の瘤にしか映らなかった。ただの邪魔者。でもあの娘は何もしてない。先輩を立てて一生懸命演奏をしただけ。欠席続きの授業の単位を取るために,クラスメイトに教えて貰う。gifted なあの娘は直ぐに理解していく。試験の結果は教えてくれた彼らよりもずっと良い成績。男子は笑う「お前さぁ,俺たちよりも出来てんじゃねーか!」。しかし女子は嫉妬する。それがあの娘には辛かった。あの娘にとって初めて努力して勉強した結果,それが実ったという成功体験を経験出来たのに,クラスの女子には冷たい目で見られた。初めての成功体験があの娘の人間関係を破壊した。

 

あの娘は何も特別なことをしていなかった。死の数年前まで勉強は努力で得たものではなかった。なんとなく眺めていれば出来たのだ。音楽的な感受性は確かに練習に次ぐ練習で高みに登っていった。そのお陰でJAZZサークルの時は和音の番号表記だけで楽譜は不要でどの曲も十二分に伴奏が出来た。唯一の不得意は暗記物。社会科は苦手だった。だからメロディーを付けて年号を暗記した。歌詞にしたならばあの娘は覚えられる。

音楽はあの娘にとってアイデンティティーだった。しかし音楽を職業にすることは難しい,と親族にオーケストラ奏者のいるママは思っていた。あの娘は忠告を受けて言ったそうだ。「私の居場所がなくなる。でもそうしなくてはいけないのだわ。」でも結局あの娘はママに告げた。早稲田出たら音大に行っても良いかな?満身創痍の心のあの娘の言葉にママはNO とは言えなかった。——冷遇と挫折だらけの少女時代。あの娘はその少女時代を過ごしただけで人生を終えてしまった。本人が閉ざしたのではない。本人につきまとう黒い影が閉ざしたのだ。「生きてちゃいけない。死ななきゃ。飛び降りろ!」躁状態が支配する精神世界は本人の意志を,自我を眠らせて身体を操ってしまう。「死にたい」なんてコレぽっちも思っていなかった。親にも数少ない友人にもそんなことは言っていなかった。むしろ楽しく,幸せを掴もうと躍起になって生きていたあの娘の自我。希死念慮双極性障害にとって恐ろしい死神なのだった。

 

【後から湧き出る「こうしていれば」】

「小学校であんなに苦しむのなら,小学校から私立に入れてエスカレーター式にそのまま上がれれば良かったのかも。」

「私が音楽を止めさせたから,趣味でも良いから細く長く続けさせていれば…。」

「中学にあがってから悩みも増えてきた。桜蔭でもみんな努力で来た人達ばかりだったから,友達ができなかった。」

「思春期のときにこそ,保育園で一緒だったみんな(うちの娘たち)と会っていれば,心を開ける機会ができたのに…。」

「もっと早い段階で,あの娘の病気に気づいていれば,私がもっともっと真っ正面から勉強していれば…。」

「私は一生懸命,子育てをしてきたつもりだったのに,失敗してしまった。間違っていたのはどこなんだろう。」

「音楽の道を閉ざして,私があの娘の芽を摘んでしまった。」

「早稲田で妥協させずに,東大に入れてやれば,違っていたのかもしれない。」

「自分はIQが130あったけれど,それよりも20近く高いアキホの話し相手にすらなれなかった。」

「兄と姉が一番手の高校に進学して比べられたくなかったから,二番手の高校に進学したら,うちの親は半年口をきいてくれなかったんですよ。だからそんな思いをさせたくなかったから,好きなことをさせたのに。あの娘は前しか見ない子だから,東大しか見えてなかった。」

「就職のことなんか心配せずに,好きな道を進ませてあげていれば…。」

「幸せな人生を送らせてあげられなかった。」

 

後付けで思うことは悔やんでも意味がないよ。そうなだめる私たち。パパさんは黙って涙を拭いていた。

 

【辛い気持ちは癒えるはずがない】

あの娘は突然逝ってしまった。人は言うだろう,早逝して何も残さなかった,可哀想な人生だったと。辛い。才能に満ちあふれていたあの娘が中途半端に遺すものも少なく去ってしまった。もっと何かが残ったはずだと。

あの娘の存在理由は何だったか,そう問う人もいるだろう。決してアキホは遺伝子を受け継いでユラユラと生まれてきた遺伝子の方舟だったとはボクは思わない。少なくともアキホは美秀さんと嗣男さんに無上の喜びを齎し,私たちや娘たちに友情と幼馴染みの際限のない寛容を芽生えさせ,その才能で期待と感歎を集め,存在感を確固たるものにした。死にたいなどと思っていなかったことは誰の目からも分かることで,自死などと警察が決めつけること自体,遺された私たちには疑いと不審で満ちていた。最愛の一人娘が結婚して家を去っても寂しいのに,黄泉の世界に去ったら,パパとママはオルフェウスのようにアキホちゃんを迎えに行きたいと願うのは当たり前だろう?だからママは辛くて辛くて鬱になって歩道橋から下を眺めたんだよ。でもね,そこには死はあってもアキホちゃんは見つからなかったんだ。飛び降りてもアキホちゃんに会えないなら,ママの目的は達せられない。アキホが見つからないと辛くなる。エリートサラリーマンとして,世界中を飛び回るパパも世界中でアキホちゃんを探し回っているに違いない。でも見つからない。辛いね。

M家の居間にはパパとママとアキホのギターが整列している。いつでも演奏出来るように。アキホのギターはFenderだったっけ?なかなかの銘品じゃないか。

オーディオ機器のサイドボードに並んでいるビデオとDVD,ヤマハの発表会のもの。アキホの小さい頃の輝ける演奏だね。ママのiMacにはアキホの大学時代の演奏動画が詰まっている。見せて貰ったよ。アキホがニューオリンズジャズをやっているところ。銀座ヤマノホール。カデンツをキッチリ文法通りにメロディーを変奏して即興してたね。素晴らしい。

アキホのお部屋もお邪魔した。構造計算の本が沢山置いてあったね。勉強家じゃないか。秘密の窓の落書きもママさんが見せてくれた。

椅子に座るアキホの代わりに,机上にはギターを演奏するアキホのパネルとアキホの遺骨が置かれている。心の中だけでなく,物理的にもアキホがそこにいること,ママとパパには大切な証なんだと思う。

アキホの部屋を思い出の部屋にしているのではないよ。キミのパパとママは今でもキミと一緒に暮らしているのを実感したいのだよ。見えないキミがママの辛い気持ちの宿主だとすれば,その気持ちは絶対に癒えるなんて事はない。癒えたら,アキホがママから居なくなってしまうだろう。ママはアキホと一緒にいたいのだから。ママの子育ての22年間は無駄じゃない,それを明らかにするのはアキホが存在していたという記憶だけでは不安なんだよ。皇女Elisabethが息子を失ってから一生喪服で過ごしたように,ママはこれから一生アキホと一緒に過ごすためにキミの生きていた時のままにしているのだよ。アキホちゃんは言ったのだろう,「私は誰からも愛されない。ともだち一人もいない。」——バカを言っちゃいけないなぁ。ママとパパがキミを愛しているじゃないか。キミが言っていたように,保育園時代のお友達はキミのことを家族だと思っている。僕たちアキホのお友達のパパもママもそうだ。キミは愛されていたし,これからも愛され続けるよ。

 

 

悲しみや辛さが記憶を超えて人の存在を感じさせてくれる。これこそ süßes Kreuz(甘き十字架)の正体なんだね。気づかせてくれてありがとう。

この感覚は癒える必要がない。背負っていくことで意味づけが失われずに存在し続けるのだから。

♫ Remember me!——Klaus Nomiはそう歌ったけれど,辛さがあるからそんな心配は不要。ましてやパパ・ママに呼びかける必要はないよ。キミのことは誰も忘れない。

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多分今のママは越路吹雪の歌の如くに言うだろう。——♬ わたしは忘れない。海に約束したから。辛くても辛くても,死にはしないと。

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