小澤征爾が鬼籍に入った。
この人の前にベルリン・フィルを振った山田耕筰,近衛秀麿,貴志康一は留学中に自腹で楽団を雇って自作を指揮し録音した面々。
一方小澤征爾はお金でベルリン・フィルを振らせてもらった人ではない。
齊藤門下の一番弟子は間違いなく山本直純だが,彼が日本の楽壇の底辺を担ったお陰で,小澤征爾はピンの音楽家になれた。
「オーケストラはやって来た」にたまに振りに来て公開録画で聴いた新世界(新日本フィル)は素晴らしかった。
1992年に蜷川幸雄の演出で上演した「さまよえるオランダ人」の迸る音楽の進行も忘れられない。あの頃から小澤征爾はオペラもやるようになった気がする。
そして私はDCH配信で見たが,2016年に最後にベルリン・フィルを振った時のエグモント序曲,
これはサントリーホール落成時にカラヤンの代わりにベルリン・フィルを振った「英雄の生涯」同様,ベルリン・フィルの演奏でも歴史に残る名演になったと思う。
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小澤征爾が日本にも世界で活躍出来る音楽家がいるんだぞ、と知らしめたのはその通りだと思う。
斎藤秀雄の門下として学んでいる事、それは楽譜から正しい音楽を引き出す事ではないかと感じる。小澤征爾だけでなく、山本直純もそうだし、秋山和慶も同じだと感じる事、それは決してアゴーギグとか緩急自在のテンポを勝手な解釈でやらない。言ってみればトスカニーニやムラヴィンスキー型の指揮者だ。小澤征爾の師匠に当たる二人、カラヤンとバーンスタインはテンポを揺らすタイプだ。カラヤンが?と思うかもしれないが、1940年代までの彼はかなりそうだった。フルトヴェングラーを襲ってのベルリンフィル常任指揮者になってから対フルヴェン的アクションとして、目をつぶる、テンポの緩急を極端にしない行為が顕著になった。バーンスタインはご存じの通り、指揮しているというよりは踊っている?と見紛うばかりの激しい動きである。
斎藤秀雄門下の指揮者が創り出す音楽は手堅い。好き嫌いの分かれる演奏にはならぬ。その一方で指揮者は個性的であるべき的観点からはオリジナリティーを欠いた面白くない演奏に聞こえる。それはフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、メンゲルベルクの様なクセがあり過ぎる演奏家が大指揮者と言われた時代の直後ではそう言われても仕方ない。
カール・ベームが手堅い演奏をするからと言って職人だと目されるのはこの直後の世代だから。そしてカラヤンは生き残ったが、ベームは忘れ去られている。カラヤンは生前に夥しい数の録音を残したから。
ベーム、サヴァリッシュ、ホルスト・シュタインなどの指揮者は小澤征爾と比べても同じくらいの素晴らしい演奏をする人々だ。しかし現代の演奏スタイル、楽譜から正確に音楽を引き出す演奏というごく当たり前のスタイルは、作品解釈の独自性よりも完璧な演奏に重点が置かれるから、現代の演奏家が同じ事をしている以上は、たとえそれが素晴らしい演奏だったと認識していても、聴衆の脳裏に残って他の人ではダメ、という事にはなり難い。そうなると心配なのが、この先小澤征爾の録音は残るのか?忘れ去られることはないのか?である。
小澤征爾が録音したので有名になった曲といえば真っ先に挙げるべきは「トゥーランガリラ交響曲」ではなかろうか?
メシアン立ち会いの下のオーソライズド的演奏で、当時は他に録音がなかったのではないか。しかしこれとて今となっては古いし、この作品は今やメジャーに演奏・録音される様になってきた。だからこの曲を聴きたい者が、小澤征爾盤しかなかった時代の様な事にはならない。「今、なぜ敢えて1967年の録音を聴くのか?」になってしまう。
そうなると比較的新しくて話題性に事欠かなかった小澤征爾のレコードといえば、ベルリンフィル、晋友会合唱団との「カルミナ・ブラーナ」か、サイトウキネンオーケストラとの一連の録音になるだろう。
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「カルミナ・ブラーナ」は1980年代あたりからよく演奏される様になった感覚を持っている。小澤征爾の肝入りなのか晋友会合唱団がベルリンフィルと演奏をするという日本アマチュア合唱団的には白眉の出来事が実現したのは1988年のこと。コレ以前にはムーティ盤の激しい演奏や録音は古いがヨッフムのオーソライズド的演奏も定番だった。しかしベルリンフィルという超一流オーケストラがこの曲をライブ録音するのは話題になった。1941-2年にナチスのお墨付きで「カルミナ・ブラーナ」を12回演奏して “Wunder Karajan“(奇跡の人カラヤン)と呼ばれた本人は、戦後になってこの曲をオルフ「勝利3部作」完成時に楽曲の一つとして1953年スカラ座オケと4回上演した以外は一切演奏しなかった。楽壇の帝王となった戦後、カラヤンはこの曲と決別したのだ。(演奏はしたかったはず)奇しくもカラヤンが亡くなる前年に弟子たる、忌まわしき過去の一切ない小澤征爾がコレを振った。カラヤンの代役を彼がしたのだとも言えるスタンスだと思う。コレはドイツのオケによるドイツの音楽の金字塔として残る筈だ。2004年ジルヴェスターライブのラトル盤もあるが、独唱者の華やかさ、カラヤン時代最後の録音という事では小澤征爾盤は価値が高い気がする。
サイトウキネンオーケストラとの一連の録音は、斎藤秀雄の弟子達によるこの特殊なオーケストラが如何に斎藤秀雄の下で厳しく錬成された音楽家達で構成されているかを如実に示すものだ。ピッタリと寸分違わず発せられる音、まるで独りで弾いているかの様に聞こえる弦楽器各セクション、楽譜の指示を忠実に守るクレッシェンドーデクレッシェンド。人間技とは思えない resonant concordance が聞こえる。
この録音群で溜息をつく前に、本当は斎藤秀雄が桐朋学園オーケストラを指揮した(否指導したと言った方が良いかもしれない。)録音が残っている。チャイコフスキーの弦楽セレナードを筆頭に遺された録音を聴いてから、サイトウキネンオーケストラの録音を聴いてほしい。斎藤秀雄のタクトによる桐朋学園オーケストラは気持ち悪いほど音の出方切り方が一斉なのだ。全くズレない。学生オーケストラなのにプロオーケストラよりもピタッと一斉なのだ。その学生達がソリストなりオーケストラ団員なりになったので構成されているのがサイトウキネンオーケストラである。桐朋学園オーケストラの弦楽器セレナードとサイトウキネンオーケストラの弦楽セレナードは頗る似ている事がわかるはずだ。
サイトウキネンオーケストラの記録はブラームス の交響曲第1番、ベートーヴェンの全ての交響曲、ブルックナー交響曲第7番、マーラー交響曲第1、2、9番、ベルリオーズ幻想交響曲と浄夜、弦セレナード、さらにはマタイ受難曲など結構曲数はある。これらの良質な演奏録音は売り方によっては存続し続けられると考えたい。小澤征爾の晩年の演奏はサイトウキネンオーケストラとのものが一番ではなかろうか。
(和解したNHK交響楽団との運命も話題性に富んでいるが。)
これからの2-3年で小澤征爾の音楽がどう捉え直されていくか、注目しておきたい。
Sterben werd' ich, um zu leben!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,
Mein Herz, in einem Nu!
Was du geschlagen,
Zu Gott wird es dich tragen!死ぬるは生きるためなり!
蘇らん!今こそ蘇れかし,
我が意(こころ)よ,瞬時(たちまち)に!
汝を倒せしもの,
汝を天に導かむ!