戦前の教養主義の恩恵とその後の継承への嘆き

 戦前の日本で教養を身につけることができたのは、旧制高校生だけだった。最も有名なのは外国語の授業で、甲類は英語、乙類はドイツ語、丙類はフランス語が第一外国語で週に10時間以上をこの言語での購読に充てられた。この授業で旧制高校生は英独仏語による文学作品やエッセイを直接読み込んだ。記録によれば英語ではエマーソン、ホーソーン、エリオットを、ドイツ語ではゲーテやシラー、レッシングを、フランス語ではデカルトラシーヌボードレールを読んだという。読んだと言っても教授による訳読を聞いていたに近いこともあったようだが、九鬼修造の述懐のように、こうした外国語教育で沢山の本に触れて視野が広がったという感想を持った者もいた。

 しかしこんな教養を身につけられたのは旧制高校だけ。例えば師範学校(小学校教員を育成する専門学校)では旧制中学とほぼ同じレベルの英語教材を無茶苦茶な発音で学習する程度だったらしい。軍の士官学校や機関学校でも帝大卒の教官を招いて外国語は教授されたが、軍務にとっては補助学でしかないため、学生は熱心ではなかったという。

 また、軍の学校の学生は教科書以外に読書するときには、既定の用紙に記入し中隊長の許可が必要だった。よって軟派な文学などは読むことが憚られた。

 戦前に文学を原書で楽しめたのは旧制高校→帝大の学生のみで、他は実践的な読書しかしていなかった事になる。今で言う推理小説とか、艶かしい描写にある恋愛文学などの欧米作品はほとんどの人が無縁だった。こうしたエリートたちの読書のおかげで、今の日本のサブカルチャーは芽生えたと言える。

 例えば一高→帝大独法科から三菱商事に入った秦豊吉は、上流のサラリーマン生活をしながら文学趣味を楽しんでいた。三菱商事ベルリン支店に勤務すると、シュニッツラーやハウプトマンなど彼がドイツ語で読んでいた現代小説家に手紙を書いて面会する機会を得た。勿論秦は彼らの作品を翻訳し出版している。ドイツ文学といえば当時はゲーテが大作家なのだが、秦豊吉ゲーテ作品も親しみやすい現代語で訳した。

 そればかりか1928年にドイツでベストセラーになったレマルクの『西部戦線異常なし』も1929年にいち早く翻訳出版し、1930年の映画が作られたときにはもう日本人はこのストーリーを日本語で読めた。

 1927年にドイツ初上映されたフリッツ・ラングの大作『メトロポリス』はその前年に小説版が出版されたのだが、秦豊吉はドイツ封切りの年に既に日本語訳を出版した。この映画の日本封切りは1929年だったので、映画より前に日本のファンは小説で内容を知ることができた。

 こんな好事家が三菱商事のエリート社員だったのだ。

 その彼は欧州でオペラ、演劇、レヴューにも通い詰めていたので欧州のサブカルチャーに詳しかった。1920年代の欧州に駐在して、ベルリン国立歌劇場でオペラを見、フィルハーモニーフルトヴェングラーの演奏を聴き、国立劇場ではマックス・ラインハルトの大掛かりな芝居を見つつ、パリまで足を運べばムーラン・ルージュグランギニョルに足繁く通っていた日本人。こんな趣味人・好事家がいた事をご存知だろうか?

 秦は自分で劇評などの文章も書いた。その時のペンネームは丸木砂土マルキ・ド・サドのもじりである)。なんとウィットに富んだ事か!

 そして彼ほどの教養を持った好事家を日本の実業家が放っておくわけがない。案の定彼を口説いたのが小林一三だ。口説かれて三菱を辞めて東京宝塚劇場の支配人となった秦豊吉がしたこと、それは東京宝塚=東宝をその時代時代で救ったのだ。

 1)1930年代に宝塚少女歌劇団のベルリン公演を実現させた。

 2)戦後間もない頃、資力も人材も窮地の東宝を救ったのは秦豊吉が考案した絵画をモチーフにしたストリップショー、いわゆる「額縁ショー」だった。

 3)これから日本で上演すべき舞台芸術は音楽と演劇を融合したミュージカルだと目論んだのは秦豊吉であり、1951年帝劇で越路吹雪(当時まだ宝塚在籍)主演「モルガンお雪」を興行し、これをもって帝劇ミュージカルが、そして日本のミュージカル歴史が始まったも同然なのだ。

 こんな教養溢れる趣味人が1920年代から1956年に亡くなるまで活躍していた事を今の我々は知らないとしたら…。なんて悲しい事だろう。

 そしてもっと悲しいのは、ここまで教養を惜しみなく使って日本のサブカルチャー、大衆文化を牽引してきた秦豊吉を超える人物が、今いない事だ。インターネットで世界中の情報を瞬時に得られるのに、秦の時代と違って誰でもが自由に好きなだけ外国語も学べるし、Amazonを使えば最新刊の海外小説もすぐに読める。映画だってそうだ。なのにどうだろう?日本の好事家たちは自分の教養をドンドン増やして、世界中の面白いものを誰かが日本語で紹介するのを待たずに、リアルタイムで原語で楽しんでいるだろうか?

 好事家を本気でするのなら、日本の図書館やメディアで手に入れるだけで満足している限り秦豊吉を超える事は出来ない。これだけ容易に世界と繋がっているのに、彼の死後70年も経っているのに、何故秦豊吉を超える庶民、若者が普通にいないのか?何とも情けないではないか!

 それはひとえに自分に教養を備えていこうとせずに、安易に機械翻訳や他者に頼る短絡的な人ばかりいるからではないのか?好きな事があれば、自分に投資して自分の知識・教養・能力でその好きなことを120%享受できる環境づくりに励むものではないのか?それこそが、受験とは全く関係のない、自分のための勉強だと堅く信じて今日も学んでいる。

 

趣味に利便性を求めるなんてナンセンスだ。

趣味だからこそ面倒であればあるほど面白いんじゃないか?