世界史上の国際語の歴史を考えても,κοινή や lingua latina が学び易い文法で簡便な言語とは間違っても言えない。豊か過ぎるほどの屈折変化を持つ言葉だ。ただしこの二つの言葉で詩も散文も隆盛を極めたし,法律用語も表現できた。つまり langue culturelle だった。近世になってからの Français も langue diplomatique として栄えたが,決して学び易い文法を備えている訳ではない。
現代英語はこれらのことばと比較すれば,簡便に見えるがその簡便さは中途半端極まりない。残す意味のない三単現のs, 頻繁に使われる事で残存している be動詞の変化 am, is, are, was, were ,そして最早殆ど使われないので放置されたままの主語 thou の動詞人称変化 art, hast, comest, wilt 等。人称代名詞は you, it は主格と目的格が同じ形であるのに, I-me, he-him, she-her, we-us, they-themと異なるものが多くあるが,SVOと語順が固定されているのだからyou と it が主格・目的格同形でも問題ない訳で,他の人称代名詞も同じで構わないのではないか?こうした中途半端な残存を改良しようとするアクションは全くない。
【聖金曜日の映画】 2024年3月29日はKarfreitag(聖金曜日)、カトリック教会では磔刑に処されたJesus Christusの受難と死を偲ぶ日である。本日のこの憂いに満ちた悲しみを追憶する日に、日本では原子爆弾の父と言われた Oppenheimer の映画が公開初日を迎えた。初日最初のIMAX上映を観て感じたのは,まずこの映画はまさに聖金曜日という追憶の日に相応しい内容だったことだ。それは Robert Oppenheimer という人物を深掘りすることで明らかになる憂いと悩みだけではない。
この映画の前半は Oppenheimer が原爆開発の任を負うまでの,彼と量子物理学との出会い,研究者としての錬成,そして恋愛&共産主義への傾倒にある。中でも実験物理学から理論物理学へと研究の射程を定めていく過程で,ケンブリッジ留学によって Niels Bohr と,さらに Bohr のすすめでゲッティンゲン大学へ移籍して Max Born, Werner Heisenberg に出会い,彼らの下で博士号を取得する。1920年代から30年代にかけて,量子物理学の発展がめざましいのだが,それは本当に一握りの,だれもが知り合いのようなグループ内でのことだったと思われる。Otto Hahn, Lise Meitner の核分裂の発見を皮切りに,Max Born, Niels Bohr, Werner Heisenberg, Albert Einstein, Friedrich Hund, Carl von Weizsäcker など Oppenheimer にとってはゲッティンゲンで顔馴染みだった同僚,師,仲間だったのだ。それが米独の戦争で別れて原子爆弾の開発を担う皮肉。有事とは言え憂いに満ちた悲しみであり,しかしながらアメリカが先に開発しなければ,ナチスドイツが戦争に勝利するかもしれないという杞憂が常に恐怖となってつきまとう。
③そして1939年 Einstein はナチス政権下で Otto Hahnが核分裂実験に成功したことで危機感を感じ,ルーズベルト大統領に原爆開発を求める文書に署名をしてアメリカの原爆開発を決定づけたが,彼の物理学はもうピークを過ぎていて,もはや量子物理学を指導する立場にはないと周知されてマンハッタン計画からは外された。
教養主義の旧制高校生のバイブルはこの『三太郎の日記』と『若きヴェルテルの悩み』だったという。『ヴェルテル』が好んで読まれたのには合点がいく。ゲーテのこの初期作品はまさに Sturm und Drang(疾風怒濤)時代の代表作であり,大変感傷的な部分もある。例えばロッテとヴェルテルが夕日に向かって語る「クロップシュトック」の場面。クロップシュトックと言うだけで涙がこぼれる感傷的な気持ちというのは,藤村操の遺書を読んで泣き崩れる文芸部の生徒のそれと同じではないだろうか。
今日はとても寒い。東京でも雪が降っていた。「ああ,寒い。(Il fait froid.)」このフランス語で大昔のことを思い出した。それは雪がテーマになるある小説のこんな台詞だった。
Elle avait froid jusqu'aux os(彼女は骨まで寒く感じた。)
« Ce sera ainsi toujours, toujours, jusqu'à la mort. »(死ぬまでずっと,ずっとこんななのかしら。)
これは大学3年生の時に第二外国語のフランス語で読んだモーパッサン « Première Neige »(『初雪』)からの文章だ。今から37年前のこと。当時の第二外国語というのは1年間で文法を終えたら二年目からは小説やエッセーが教材になった。二年生の時は易しくリライトされた『モンテクリスト伯』だったが,外国語学科3年目の第二外国語(フランス語)ではモーパッサンの原文が教材だった。今考えたら,20歳そこそこの学生にいきなり原文でモーパッサンはかなり無謀だ。いまでもその冒頭は覚えている。
La longue promenade de la Croisette s'arrondit au bord de l'eau bleue. Là-bas, à droite, l'Esterel s'avance au loin dans la mer. Il barre la vue, fermant l'horizon par le joli décor méridional de ses sommets pointus, nombreux et bizarres.