昨日実家に行ったら、母がトイレで動けなくなっていた。前日風邪を引いたというので医者に連れて行った時には一人で立って歩けていたのだが、翌日は介助なしでは体を起こすのも難しくなっていた。82歳という高齢が原因なのか、それとも医者から処方された薬に原因があるのかわからない。
四六時中自分たち子どもが見に来ていても、一人で暮らしていると思わぬ落とし穴がある。特に排泄に関しては、センシティブな部分なので介助するにも困難さがある。排泄すら一人で出来ない事実が起きてしまうと、本人の落胆ぶりは大変だ。自分への不甲斐なさと、家族に迷惑をかけてしまった後悔で気持ちが落ち込んでいき、精神と肉体の悪循環が起こってしまいかねない。
高齢者の抱える実態から思うのは、一人暮らしの危険性だ。それは物理的に介助者がいれば解決すると、高齢者当人ではない我々はすぐに判断してしまう。だが、本質はそれ以上に深い。家族と暮らしてきた、家族を迎え入れることのできる高齢者は比較的解決しやすい。問題は、高齢者だけではなく、若い頃からずっと暮らしてきたライフスタイルに起因する。「おひとりさま」の恐怖である。
別に古いものの考え方で一人暮らしを揶揄するのではない。配偶者を持たない、家庭を築かずに好きに暮らすのは個人の権利だ。配偶者やパートナーを持つことだって、今日では異性とは限らないし、同性同士だって様々な個性・認識があるので何が普通と言うような世の中ではなくなった。そのヴァリエーションを以ってしても、一人暮らしする自由・権利は守られるべきである。
しかしながら、長年一人で暮らしてきた人間にとって、体力・気力の衰えを介助するというやむを得ない理由であっても、他人はもちろんのこと親戚でも耐えがたい苦痛になったり、我慢できない侵入者と見てしまうことが起こる。いつも一人なのに、そうでない日常を甘受できない。受け入れざる自分以外の侵入者。しかしそのまま暮らすことができなくなる肉体的な老い。倒れても助けは求めたくない。自分でどうにかしたい。そう思い悩んでいるうちに時間が経ち、体力は消耗し、気がつけばもはや目前に忍び寄る死神の姿。まるで小説かと軽視することは出来ない現実だ。孤独死の実際はこんなことではあるまいか。
親戚の高齢者にまさにそういう方がいる。長いこと一人暮らしだったので、もはや宅配の弁当配達すら侵入者的視線で拒否する。自炊できる年齢ではないので、少なくともコンビニで弁当やおにぎりを買わねばならない。だがマンションの階下の店舗に行くだけでも一日仕事のようになってしまう実際。痴呆があるわけではないが、存在しない侵入者を部屋に見出してしまう偏狭な心理。正直これは介助する親戚も精神的にダメージを喰らう。
経済的に不自由のない人は、高齢者向け高級介護ホームのような所で、毎日がホテル暮らしを味わって往生するのだろうが、庶民のおひとりさまはそうはいかない。かつてよく電話で話していた同級生や友達は、高齢になるにつれていなくなっていく。独りの孤立感がどんどん増大してくる。しかし元々おひとりさまの人はその危険性に気づくことはない。
これだけ個人主義が尊重されるようになった現代では、社交性がないのは問題とか、人間的に欠陥があるとか決して言うべきではないし、そのような考えを持つことすら間違いだ。例え人口が減っても、高齢者ばかりが多くなり若年層が減ってもおひとりさまのライフスタイルは守られるべきである。ただ、孤独死が増大するのは間違えのない事実だ。生活する人の暮らし方を尊重しつつ、その生命、あるいは QOL を維持しながら最期を迎えるための解決策が見えてこない。
20代30代の若者がおひとりさまとして考えるであろうことは、経済的な独立をずっと維持していくための施策だ。年金受給があまり頼りにならない現在では、労働で得た賃金をいかに蓄え増やすかに老後の生活はかかっている。かつてのような、学校を卒業したら当たり前に正規雇用され、定年まで勤め上げて、もらった退職金を大切に使いながら余生を暮らす人生設計はもはや過去のものだ。就職してもキャリアアップで転職を繰り返す、社会保険も有給もあるが故に正規雇用なのか非正規なのか判断がつきにくい雇用形態、働き方に様々なスタイルを認めるのは良いが、老後の暮らしを支えてくれる仕組みがなければ、引退難民が出てくる。アメリカの様に全て自己責任でライフプランを組む慣習は日本にはまだないと思う。国民年金は期待薄でも、なくなったら大惨事が起きる。
現在の高齢者は生まれた時から個人主義が尊重された世代ではない。故に家父長制という家族制度の中で生まれ、ごく普通に就職して結婚し、年金と定年まで勤め上げた退職金でそこそこ暮らしていける人々である。その人々ですら、孤独死の問題を抱えている。この人たちに比べれば、若いおひとりさま世代の老後はもっともっと厳しいであろうことには間違いない。
今、若い人が多くの高齢者の年金支給を支えている。それなのに当の本人たちが高齢者になる時、大惨事が起きないようにするには、その事に気づいた若者だけが自己防衛に走れば良いではないか、ではあまりにも冷淡過ぎないか。