寒さの思い出

今日はとても寒い。東京でも雪が降っていた。「ああ,寒い。(Il fait froid.)」このフランス語で大昔のことを思い出した。それは雪がテーマになるある小説のこんな台詞だった。

Elle avait froid jusqu'aux os(彼女は骨まで寒く感じた。)

« Ce sera ainsi toujours, toujours, jusqu'à la mort. »(死ぬまでずっと,ずっとこんななのかしら。)

 

これは大学3年生の時に第二外国語のフランス語で読んだモーパッサン « Première Neige »(『初雪』)からの文章だ。今から37年前のこと。当時の第二外国語というのは1年間で文法を終えたら二年目からは小説やエッセーが教材になった。二年生の時は易しくリライトされた『モンテクリスト伯』だったが,外国語学科3年目の第二外国語(フランス語)ではモーパッサンの原文が教材だった。今考えたら,20歳そこそこの学生にいきなり原文でモーパッサンはかなり無謀だ。いまでもその冒頭は覚えている。

 

La longue promenade de la Croisette s'arrondit au bord de l'eau bleue. Là-bas, à droite, l'Esterel s'avance au loin dans la mer. Il barre la vue, fermant l'horizon par le joli décor méridional de ses sommets pointus, nombreux et bizarres.

クロワゼットの長い通りが青い海に沿って丸く伸びる。右手には,海の向こうに突き出ているエステレルの山。それは景色を遮って,いくつもの奇妙な形の尖った頂になっている。この南フランスらしい洒落た眺めが地平線を結ぶ。拙訳)

 

なぜこれを覚えているかというと,A先生が「これはアンガージュマンの文学ですね。」と仰ったから。アンガージュマン(参加の)文学とは,読者があたかもその場所に居合わせているかのように作品を読み解くことができる作家の工夫である。だけれども,フランス語を始めて3年目の若者にとって,こんな文章は一語一語仏和辞典に頼って調べていくしかない。今のようにネットなど存在しないので,Croisetteや l’Esterel という固有名詞が一体どこの何だか調べるのが一苦労。大体どこの話かも分からないのだ。ヒントは唯一 mérdional(南フランスの)という形容詞だけ。いまならネットで検索すればクロワゼット通りもエストレル山脈も南フランスのカンヌだということがわかるが,当時はそれを知るにはフランスの地理について教養がないと…。今はネットで写真すら見られる。19世紀当時の景色はこんなだったらしい。

 


この短編は巴里の裕福な貴族の娘が,北のノルマンディに嫁いだが,その生活習慣(冷たい石造りの邸宅に暖炉を入れてくれない夫),考え方に溶け込めず,寒さと同時に気持ちが鬱になりだんだんおかしくなっていく話だったかと思う。静養のためカンヌに長期滞在している。小説の冒頭の景色はその主人公の目を通した,カンヌの景色なのだ。

週2時間で2年間,つまりたった138時間程度しかフランス語を学習していない(これは仏検3級受験レベルにすら達していない)者にとって,モーパッサンの原文を正確に読むのはかなり難儀だった。しかも2年次までに出てこなかった文法がでてきた。条件法第二形である。A先生が軽く説明。専攻言語がドイツ語で第二外国語がフランス語というクラスの中でも珍しい存在だった(クラスの9割以上が英語専攻の学生)自分の質問「第二形ということは第一形があるのでしょうか。」に対して先生は「ないよ。キミならわかるだろ。」と返してこられた。(ドイツ語なら接続法第二式と対立して第一式があるのに…。)フランス語の文法用語には不可解なものが多い。単純過去,半過去,複合過去,大過去,前過去,「過去」が5つあるが,一体何が「半」で何が「単純」で何が「前」なのか当時は首をかしげていたのを覚えている。

 

日本航空であのモレシャンさんと一緒にフランス語を教えていたんだよ。」とチョット得意げに語られていたA先生は既に退官されて名誉教授になられたそうだが,たまたまyoutubeで講演されているのを見た。まだまだご活躍のようだ。