Humanitas 「人間らしさ 」に就いて

FAUST:

Habe nun, ach! Philosophie,

Juristerei und Medizin,

Und leider auch Theologie!

Durchaus studiert, mit heißem Bemühn.

Da steh ich nun, ich armer Tor!

Und bin so klug als wie zuvor;

Heiße Magister, heiße Doktor gar,

Und ziehe schon an die zehen Jahr,

Herauf, herab und quer und krumm,

Meine Schüler an der Nase herum -

Und sehe, dass wir nichts wissen können!


ファウスト

哲学もやった、

法律も医学も、

それに神学までやったのに!

調べに調べてやり尽くしたんだ。

でもどうだ、おバカな俺が居るだけだ!

頭の良さは昔とおんなじ、

修士だ博士だとひけらかして

10年もの間学生の鼻を

縦横斜めにクルクル

回した挙句が、コレだよ、

俺たちゃ何も解っちゃいない。(拙訳)


→そうさ、その通り。
一生懸命勉強したって、
賢くなったなんて意識は持てないよ。
だから一生勉強なんだ。
勉強しないやつは、そこまでって事だ。
人の器にはそれぞれの容量があるからね。

 

「分かる」って一体なんだろう?
何も知らないって分かる事は、「自分は賢いなんてならないよ」と悟る事かも知れない。
そうやって永遠に探求し続けるしかない、と悟る人間を仏教では बोधिसत्त्व ボーディサットヴァ(菩薩)と呼ぶのかね?

 


でもね、なんでも分かってしまったら、それは神の領域で、全知全能の神には向上心なんてないだろうし、増してや探究心もないでしょう。
それじゃ人間としては人生面白くないよね。不完全だから求める気持ちが湧くのだから。

だから彼の悪魔が学生に書いた格言、

“Eritis sicut Deus, scientes bonum et malum.”

(汝神ノ如ク成リテ善悪ヲ知ルニ至ラン)

は大変な皮肉だ。
神にとっては善も悪もないでしょう。悪は神の創造の一部であって、意味のある事。
善と悪に分けるのは我々人間が成長するために区分して利用する為なのだから、上記の格言は人間に人間的であることをやめてしまえ、と言っているようなものだ。

 

で,人間は愚かなる者で,学んでも忘れ,同じ失敗を繰り返して生きている。
「歴史は繰り返される」とCurtius Rufus が語ったこの事実を,ニーチェは ewige Wiederkunft(永劫回帰)と名づけた。ただし,全く同じ事を繰り返しているわけではなくて,それはバネのように繰り返しながら上へと伸びていくことで一段一段ステップアップしていくのではなかろうか。

——人を好きになって,恋に破れてもまた次に好きな人が現れる…馬鹿な情念の燃え立つ様を繰り返していると言えるのは端の人だけ。当事者には通じない。

——試験前になって,やっと重い腰を上げてノートをまとめて重要事項を覚えても,試験が終わるとすっかり忘れる。で,翌年同じ箇所が試験範囲になるとまた同じようにまとめて覚えての繰り返し…記憶の繰り返しなんて,労力の無駄か?でも試験のためにはその無駄が実力に変わるのだから止められない。

——美味しいお料理をレストランで戴いて,しばらくするとまた食べたくなる。あの時の感動や驚きは二度目三度目になると当然薄れてくる。でも食べたい。…味覚の繰り返しって,新しい蓄積なんてないかもしれない。でも慣れた味でも満足するのはどうして?

——好きになった本や絵を読み返す,見返すのは視覚と記憶の無駄遣いか?

 

人は繰り返すから人生を楽しめることも沢山ある。これも人間らしい業だね。

邦訳『ファウスト』翻訳者の系譜

1.ドイツ文学者および大学でドイツ語・ドイツ文学を講じている学者

桜井政隆訳、ファウスト、大村書店 、1925(大正14)(学習院・第八高等学校)→大村書店版全集収録(のちに大東出版社)

茅野蕭々著、ファウスト物語、岩波書店、1926(大正15)(慶応大学)

(中島清訳、ファウスト(世界文豪代表作全集第6巻)、世界文豪代表作全集刊行会1927(昭和2)(戦後北海道大学教授・駒澤大学?))

関口存男訳、ファウスト抄{対訳}、日光書院、独逸語叢書、1941(昭和16)年(法政大学)

小暮亮著、ファウスト、(世界名著物語文庫)、新文社、1946(昭和21)(明治大学)

高橋健二訳、ウルファウストゲーテ名作集、郁文堂、1948(昭和23)(中央大学

良守峯訳、ファウスト(思索選書)、思索社、1950(昭和25)年・ダヴィッド社、1954(昭和29)年(東京大学→育生社版全集収録(部分的に出版)

鼓常良訳、ファウスト(世界文学選書29)、三笠書房、1950(昭和25)(第八高等学校・大阪市立大学

高橋健二ファウスト(第一部、第二部)、河出書房、1951(昭和26)(中央大学1985年マリカによるダンス「ファウスト on the beat」上演台本 小劇場アゴ

舟木重信、ファウスト(少年少女のための世界文学選7)小峰書店、1951(昭和26)(早稲田大学

大山定一訳、ファウストゲーテ全集第2巻)、人文書院、1960(昭和35)(京都大学人文書院版全集収録

高橋義孝訳、ファウスト(世界文学全集第1巻)、新潮社、1962(昭和37)年(九州大学

手塚富雄訳、ファウスト第一部(世界の文学5)、中央公論社、1964(昭和39)年(東京大学1965俳優座上演台本 日生劇場

菊池栄一、ファウスト第二部註解、南江堂、1965(昭和40)(東京大学

関泰祐著、ファウスト物語(現代教養文庫)、社会思想社、1965(昭和40)(一橋大学学習院

手塚富雄訳、ファウスト 悲劇第一部・悲劇第二部(上・下)((中公文庫)、中央公論社、1974・75(昭和49・50)(東京大学

佐藤通次訳、ファウスト(上)(旺文社文庫)、旺文社、1975(昭和49)(皇學館大学

井上正蔵訳、ファウスト 第1部・第2部(愛蔵版 世界文学全集7)、集英社、1976(昭和51)(東京都立大学

柴田翔訳、ファウスト第一部、講談社、1977(昭和52)(東京大学

山下肇訳、ファウスト悲劇第一部・第二部、ゲーテ全集第3巻、潮出版社、1992年(平成4)(東京大学教養学部潮出版社版全集収録

前田和美訳、ウルファウストゲーテ全集第3巻、潮出版、1992年(平成4)(東京大学教養学部

小西悟訳、ファウスト、大月書店、1998年(平成10)(東京都立大学

柴田翔訳、ファウスト講談社、1999年(平成11)(東京大学

池内紀訳、ファウスト第一部・第二部、集英社、1999・2000年(平成11・12)(東京大学

三木正之訳,ファウスト第一部・第二部,南窓社,2015年(平成27)(神戸大学

粂川麻理生訳、ファウスト、作品社、2023年(令和5)(慶應義塾大学

 

2.大学所属の学者・研究者ではあるが,Germanistikを専門にしていない者

新渡戸稲造著、ファウスト物語、六盟館、1910(明治43)(第一高等学校校長在任時の講演が底本)

東新訳・篇、(訳註)新訳ファウスト(第一部)、岩波書店、1921(大正10)(北海道帝国大学予科・哲学)ひがしあらた

阿部次郎訳、ファウスト 第一部 ・第二部(上)、改造社1937(昭和12)・第二部(下)、1939(昭和14)東北大学・美学)改造社版全集収録

片岡義道訳、ファウスト 第一部・第二部 近代文芸社、1996・1999(平成8・11)(京都市立芸大・声明)

 

3.翻訳を職業としている者,又は作家

高橋五郎訳、ファウスト、前川文栄閣、1904(明治37)

三井甲之訳、ファウスト(第一部 グレートヘンの部屋まで)、政教社「日本及日本人」連載、1910-12(明治43-45)、合冊本として慶應義塾精神科学研究会刊行、1930(昭和5)

森林太郎訳、ファウスト 第一部・第二部、冨山房、1913(大正2)1913年 近代劇協会上演台本 帝国劇場

生田長江(著者)、ゲエテ 作 ファウスト 第一部・第二部、 世界学藝エッセンスシリーズ1、青年学藝社、1914(大正3)

中内蝶ニ譯述、ファウスト、世界文藝叢書チョイスシリーズ10、鍾美堂書店、1914(大正3)

斎木仙酔、ゲーテファウスト、名著梗概及び評論第22篇、名著評論社、1915(大正4)

村上静人訳編、ゲーテ傑作集、佐藤出版部、1917(大正6)

森田草平ファウスト、日本書院、1916(大正5)(再版)

森田草平・東新共訳、訳註ファウスト、文武堂、1918(大正7)

太宰衛門(著者)、ゲーテ原作 フアウスト、(新訳名著叢)、世界文學名著集、三星社、1924(大正13)

秦豊吉ファウスト、聚英閣、1926(大正15) →聚英閣版全集収録

松山悦三編、ファウストイデア書院、1926(大正15)(児童書)

石川曽平(譯者)、ヨハン ヸルフガング・ゲーテ 著 ゲーテ集 東京 中央出版社、1927(昭和2)

北昤吉監抄訳、ファウスト、潮文閣、1927(昭和2)

中島清訳、ファウスト(世界文豪代表作全集第6巻)、世界文豪代表作全集刊行会1927(昭和2)

池田大伍、ファウスト(第一部)、演劇画報、1929(昭和41929年第二次芸術座(水谷八重子)・文芸座(守田勘弥)上演台本 早稲田大学大隈会館

久保栄訳、ファウスト(第一部)、中央公論社、1948(昭和23) 1936年 新協劇団上演台本 築地小劇場

高木彬光著、ファウスト(世界名作文庫)、偕成社、1953(昭和28)(児童書)

伊藤佐喜雄、ファウスト(少女世界文学全集25)、偕成社、1963(昭和38)(児童書)

荒俣宏(ハリー・クラーク挿絵)、ファウスト新書館、2011(平成23)

 

 

4.1.〜3.には当てはまらない者,個人的に翻訳・出版した者

町井正路訳、ファウスト東京堂、1912(明治45)(町井事務所。「都市計画と汚物処理」1922)

小田柿栄一郎訳、ファウスト第一部・第二部、小田柿医院(小樽)、1982・85(昭和57・60)(開業医。医学博士)

和田孝三訳、ファウスト、創英社・三省堂書店2012(平成24)(元東芝上席常務取締役。東芝欧州総代表1994-7

水上基地訳,ファウスト第一部・第二部,Kindle,2016・17(平成28・29)(静岡県静岡市出身。)みなかみ きち:ネットのみ。印刷本なし。

 

 

5.マンガ

手塚治虫ファウスト、不二書房、1949(昭和24)

手塚治虫、百物語、週刊少年ジャンプ集英社、1980(昭和46)

たいがとしゆき(作画)、ファウスト悲劇(マンガ世界名作文学全集)、代々木アニメーション学院出版局、1989年

手塚治虫、ネオ・ファウスト朝日新聞社、1989年

バラエティ・アート・ワークス、まんがで読破ファウストイースト・プレス、2008年

 

 

6.訳者の詳細が不明の者

加蔵正樹(譯者)、フアウスト、帝國出版協会、1928(昭和3)(国会図書館に蔵書無し。存在未確認)

 

 

7.注釈のみで訳がないもの

木村謹治註釈、FAUST[100部限定版]、研究社、1943(昭和18)(東京大学

青木昌吉註釈、ファウスト註解、郁文堂、1946(昭和21)(東京大学

高橋義孝ファウスト集注、郁文堂、1979(昭和54年)(九州大学

Gérard de Nerval のこと

昨年末 Cimetière du Père-Lachaise を訪れたが,その目的は Goethe も絶賛した Faust の仏語訳者,後に作家・詩人として名を殘す Gérard de Nerval (1808-1855)の墓参。

折角巴里に來たのだから,誰か自分の興味ある人物の墓参りをしてみたかった。

Nervalが Faust第1部翻訳を試みたとき,まだリセ・シャルルマーニュの学生だった。1827年「メルクール」誌に Nerval による«La dernière scène de Faust»「ファウスト最後の場面」が掲載された。これがNerval 最初のエッセイだ。翌年 Nervalは自分の翻訳を出版。その2年後1830年1月3日のEckermannの記述で,Goethe はこのNerval訳 Faust をパラパラめくりながら語っている。

„Im Deutschen mag ich den ‚Faust‘ nicht mehr lesen; aber in dieser französischen Übersetzung wirkt alles wieder durchaus frisch, neu und geistreich.“
(「ドイツ語では『ファウスト』はもう読みたいとは思わないけれど,このフランス語訳はどこもみんな瑞々しくて,新鮮,そして才気に溢れているね。」)

死の2年前の,晩年の Goethe 自らに絶賛された若き翻訳家,文学者の Gérard de Nerval はこうして詩人・作家の道を歩むことになる。

Nerval訳で印象深いのは,Faustが脱獄を拒む狂乱のGretchenを見て思わず独白するこの言葉,


FAUST : Oh! que ne suis-je jamais né!
FAUST : O wär ich nie geboren!(原文)
ファウスト:こんな事なら、生まれて来なければよかった!(拙訳)

これは原文に忠実に訳しているが,実はこれにはヴァリアントがある。Nervalは別訳も自著の巻末に載せている,それがダイレクトで私は好きだ。

FAUST : Ciel! pourquoi suis-je né!
ファウスト:何てことだ!なんで俺は生まれちまったんだ!(拙訳)

この訳の方が20歳そこそこの若者の印象だと思う。 Goethe が frisch, neu, geistreich と形容するその翻訳はまさに老年が Strum und Drang の詩を懐かしむような感性だったに違いない。

他にも,

FAUST : Si la douce jeune fille ne repose pas ce soir dans mes bras, à minuit nous nous séparons.

FAUST : Wenn nicht das süße junge Blut
    Heute Nacht un meinen Armen ruht;
    So sind wir um Mitternacht geschieden.(原文)
ファウスト:今晩あのカワイイお嬢さまの寝顔を腕の中で拝めないなら,俺とお前は真夜中を以てお別れだ!(拙訳)

魔女の厨で若返ったファウストの恋への熱情がよく分かる,飾った言葉のない,直接的な台詞が止まらない若さの爆発を物語っている。メフィストへの無茶振りがここは凄いのだ。

ファウストとグレートヒェンの恋が実る場面では,若い二人のあまりにもベタな心の動きを Nerval はこれでもかと訳し切る。もう,読んでいられなくなる程のベタなのだ。

FAUST : Que murmures-tu?
MARGUERITE : Il m’aime —— Il ne m’aime pas.
FAUST : Douce figure du ciel!
MARGUERITE : Il m’aime. — Non.  — Il m’aime. —  Non.  …. Il m’aime!
FAUST : … Il t’aime!  comprends-tu ce que cela signifie? Il t’aime!
MARGUERITE : Je frissonne!

ファウスト:何ブツブツ言ってるの?
マルガレーテ:私のことが好き,好きじゃない。
ファウスト:堪らん,天使みたいにカワイイ!
マルガレーテ:好き,嫌い,好き,嫌い……好きだわ!
ファウスト:… 君が好きだ!分かるよね?そう,好きさ!
マルガレーテ:(嬉しくて)…私,震えちゃう!(拙訳)

更に Goethe の著したグレートヒェンのモノローグ,ガラスのハートの乙女心が恋によって堪えられない不安に駆られるこの独白を,Nerval は意訳しつつフランス語の語彙を駆使して韻律をつける。

MARGUERITE:
Une amoureuse flamme
Consume mes beaux jours;
Ah! la paix de mon âme
A donc fui pour toujours!

マルガレーテ:
身を焦がす恋の炎が
めくるめく日々を焼き尽くすの
ああ,穏やかな心はもう,
どこにもなくなっちゃった。(拙訳)

Gretchen :
Meine Ruh ist hin,
Mein Herz ist schwer;
Ich finde sie nimmer
Und nimmermehr.(原文)

グレートヒェン:
こころ安からず、
苦しこの想い
安息を求むるも
佇む所なし。(原文からの拙訳)

このマルガレーテの独白は若き日の Berliozが最初に書いた「ファウストからの8つの情景 作品1」(1829)に採用された。この作品は自費出版されて Goethe にも楽譜が送られたが,返事は来なかった。(Goethe の音楽上の相談役 Zelter がこの作品を酷評したからだ。)後年の大作「ファウストの劫罰」はこの「8つの情景」があってのリメイクだと思って差し支えない。上記の部分もしっかり Nervalのテキストごと「劫罰」に収録されている。Berlioz の音楽的直感には,他の仏訳よりも Nerval の感性溢れる翻訳が響いたのだ。

ここで告白しなければならないのは,これだけ感性溢れるフランス語訳を上梓した Nerval は,このとき未だドイツへ一度も行ったことがなかった。

Nerval はフランス・ロマン主義の詩人として当時の文壇に新風を巻き起こし,ユーゴー,デュマとも親交があった。

感性溢れる詩を創作した Nerval も実は恋をしている。彼はデュマと共同で脚本を書いていたオペラ「ピキロ」で主役の歌手 Jenny Colon(1808-1842)に恋をした。しかしその恋は実らず,Colon は他の男性と結婚し33歳の若さで亡くなった。 Nerval は恋煩いから亡き母親への憧憬などを経て精神に支障を来した。失意と失恋の中で彼は極貧にあえぐ生活をするようになる。

1855年1月26日,Vieille-Lanterne 通りの下水道で首を括って亡くなっている Nerval が発見された。冬を越すために300フランが必要だと書かれた書き置きがあったという。

 

Nerval の創作態度は後世にも影響を与えている。有名なのは André Breton が「シュールレアリスム第一宣言」の中で,

« Nerval possède à merveille l'esprit dont nous nous réclamons ». 
(Nervalは我々の拠り所とする素晴らしい精神を持っている。)

と記している一文である。これは Breton の主張するAutomatisme Nervalの晩年傾倒したスピリチュアリズムの中に見いだせたことを意味している。

 

感性に生きた Nerval の詩から一節を紹介してペンを置きたいと思う。

Chanson gothique (ゴシックの歌)より
Belle épousée
J'aime tes pleurs!
C'est la rosée
Qui sied aux fleurs.
美しき花嫁よ
お前の涙が大好きだ!
その流れる雫は
花にお似合いだ。

小澤征爾のこと

 小澤征爾が鬼籍に入った。

 


 この人の前にベルリン・フィルを振った山田耕筰近衛秀麿貴志康一は留学中に自腹で楽団を雇って自作を指揮し録音した面々。

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一方小澤征爾はお金でベルリン・フィルを振らせてもらった人ではない。

 齊藤門下の一番弟子は間違いなく山本直純だが,彼が日本の楽壇の底辺を担ったお陰で,小澤征爾はピンの音楽家になれた。

 「オーケストラはやって来た」にたまに振りに来て公開録画で聴いた新世界(新日本フィル)は素晴らしかった。

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 1992年に蜷川幸雄の演出で上演した「さまよえるオランダ人」の迸る音楽の進行も忘れられない。あの頃から小澤征爾はオペラもやるようになった気がする。

 そして私はDCH配信で見たが,2016年に最後にベルリン・フィルを振った時のエグモント序曲,

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これはサントリーホール落成時にカラヤンの代わりにベルリン・フィルを振った「英雄の生涯」同様,ベルリン・フィルの演奏でも歴史に残る名演になったと思う。

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 小澤征爾が日本にも世界で活躍出来る音楽家がいるんだぞ、と知らしめたのはその通りだと思う。

 斎藤秀雄の門下として学んでいる事、それは楽譜から正しい音楽を引き出す事ではないかと感じる。小澤征爾だけでなく、山本直純もそうだし、秋山和慶も同じだと感じる事、それは決してアゴーギグとか緩急自在のテンポを勝手な解釈でやらない。言ってみればトスカニーニムラヴィンスキー型の指揮者だ。小澤征爾の師匠に当たる二人、カラヤンバーンスタインはテンポを揺らすタイプだ。カラヤンが?と思うかもしれないが、1940年代までの彼はかなりそうだった。フルトヴェングラーを襲ってのベルリンフィル常任指揮者になってから対フルヴェン的アクションとして、目をつぶる、テンポの緩急を極端にしない行為が顕著になった。バーンスタインはご存じの通り、指揮しているというよりは踊っている?と見紛うばかりの激しい動きである。


 斎藤秀雄門下の指揮者が創り出す音楽は手堅い。好き嫌いの分かれる演奏にはならぬ。その一方で指揮者は個性的であるべき的観点からはオリジナリティーを欠いた面白くない演奏に聞こえる。それはフルトヴェングラークナッパーツブッシュメンゲルベルクの様なクセがあり過ぎる演奏家が大指揮者と言われた時代の直後ではそう言われても仕方ない。

 カール・ベームが手堅い演奏をするからと言って職人だと目されるのはこの直後の世代だから。そしてカラヤンは生き残ったが、ベームは忘れ去られている。カラヤンは生前に夥しい数の録音を残したから。

 ベームサヴァリッシュホルスト・シュタインなどの指揮者は小澤征爾と比べても同じくらいの素晴らしい演奏をする人々だ。しかし現代の演奏スタイル、楽譜から正確に音楽を引き出す演奏というごく当たり前のスタイルは、作品解釈の独自性よりも完璧な演奏に重点が置かれるから、現代の演奏家が同じ事をしている以上は、たとえそれが素晴らしい演奏だったと認識していても、聴衆の脳裏に残って他の人ではダメ、という事にはなり難い。そうなると心配なのが、この先小澤征爾の録音は残るのか?忘れ去られることはないのか?である。

 小澤征爾が録音したので有名になった曲といえば真っ先に挙げるべきは「トゥーランガリラ交響曲」ではなかろうか?

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メシアン立ち会いの下のオーソライズド的演奏で、当時は他に録音がなかったのではないか。しかしこれとて今となっては古いし、この作品は今やメジャーに演奏・録音される様になってきた。だからこの曲を聴きたい者が、小澤征爾盤しかなかった時代の様な事にはならない。「今、なぜ敢えて1967年の録音を聴くのか?」になってしまう。

 そうなると比較的新しくて話題性に事欠かなかった小澤征爾のレコードといえば、ベルリンフィル、晋友会合唱団との「カルミナ・ブラーナ」か、サイトウキネンオーケストラとの一連の録音になるだろう。

 

※ ※


 「カルミナ・ブラーナ」は1980年代あたりからよく演奏される様になった感覚を持っている。小澤征爾の肝入りなのか晋友会合唱団がベルリンフィルと演奏をするという日本アマチュア合唱団的には白眉の出来事が実現したのは1988年のこと。コレ以前にはムーティ盤の激しい演奏や録音は古いがヨッフムオーソライズド的演奏も定番だった。しかしベルリンフィルという超一流オーケストラがこの曲をライブ録音するのは話題になった。1941-2年にナチスのお墨付きで「カルミナ・ブラーナ」を12回演奏して “Wunder Karajan“(奇跡の人カラヤン)と呼ばれた本人は、戦後になってこの曲をオルフ「勝利3部作」完成時に楽曲の一つとして1953年スカラ座オケと4回上演した以外は一切演奏しなかった。楽壇の帝王となった戦後、カラヤンはこの曲と決別したのだ。(演奏はしたかったはず)奇しくもカラヤンが亡くなる前年に弟子たる、忌まわしき過去の一切ない小澤征爾がコレを振った。カラヤンの代役を彼がしたのだとも言えるスタンスだと思う。コレはドイツのオケによるドイツの音楽の金字塔として残る筈だ。2004年ジルヴェスターライブのラトル盤もあるが、独唱者の華やかさ、カラヤン時代最後の録音という事では小澤征爾盤は価値が高い気がする。

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 サイトウキネンオーケストラとの一連の録音は、斎藤秀雄の弟子達によるこの特殊なオーケストラが如何に斎藤秀雄の下で厳しく錬成された音楽家達で構成されているかを如実に示すものだ。ピッタリと寸分違わず発せられる音、まるで独りで弾いているかの様に聞こえる弦楽器各セクション、楽譜の指示を忠実に守るクレッシェンドーデクレッシェンド。人間技とは思えない resonant concordance が聞こえる。

 この録音群で溜息をつく前に、本当は斎藤秀雄桐朋学園オーケストラを指揮した(否指導したと言った方が良いかもしれない。)録音が残っている。チャイコフスキーの弦楽セレナードを筆頭に遺された録音を聴いてから、サイトウキネンオーケストラの録音を聴いてほしい。斎藤秀雄のタクトによる桐朋学園オーケストラは気持ち悪いほど音の出方切り方が一斉なのだ。全くズレない。学生オーケストラなのにプロオーケストラよりもピタッと一斉なのだ。その学生達がソリストなりオーケストラ団員なりになったので構成されているのがサイトウキネンオーケストラである。桐朋学園オーケストラの弦楽器セレナードとサイトウキネンオーケストラの弦楽セレナードは頗る似ている事がわかるはずだ。

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 サイトウキネンオーケストラの記録はブラームス交響曲第1番、ベートーヴェンの全ての交響曲ブルックナー交響曲第7番、マーラー交響曲第1、2、9番、ベルリオーズ幻想交響曲浄夜、弦セレナード、さらにはマタイ受難曲など結構曲数はある。これらの良質な演奏録音は売り方によっては存続し続けられると考えたい。小澤征爾の晩年の演奏はサイトウキネンオーケストラとのものが一番ではなかろうか。

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(和解したNHK交響楽団との運命も話題性に富んでいるが。)

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 これからの2-3年で小澤征爾の音楽がどう捉え直されていくか、注目しておきたい。

 

Sterben werd' ich, um zu leben!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,
Mein Herz, in einem Nu!
Was du geschlagen,
Zu Gott wird es dich tragen!
死ぬるは生きるためなり!
蘇らん!今こそ蘇れかし,
我が意(こころ)よ,瞬時(たちまち)に!
汝を倒せしもの,
汝を天に導かむ!

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映画「陽炎座」4K版のÄsthetikと泉鏡花の原作の耽美觀,そして「夢二」へと続く女の情念の発展

0.はじめに

 2月上旬近所のシネマで鈴木清順作品4K化として所謂浪漫三部作が上映された。

この文章は2月5日に鑑賞した「陽炎座」についてその原作である泉鏡花のそれと比較することでめいめいの「美」について考察してみたい。

更に翌6日に鑑賞した「夢二」と「陽炎座」における女の情念についても分析してみたい。

 

1.原作と映画は別の作品である

 このところ,あるマンガのドラマ化が原因で人の死に関わる残念な事件が起き,にわかに「原作」と「別メディア化」の乖離やどうあるべきかが問われている。

本日鑑賞した鈴木清順陽炎座」も泉鏡花の『陽炎座』とは筋も登場人物も異なる部分があり,映画化というよりは別作品と捉えるべきである。むしろ映画監督鈴木清順泉鏡花の作品からインスピレーションを得て,独自の美的感覚で制作した映像作品である。こういうときにいつも原作と比較されて問題になるのは,それは題名が原作と同じ名称を使うからではないかと思う。鈴木も浪漫三部作の第1作は内田百閒の『私』,『サラサーテの盤』から着想を得ているが,こちらは「チゴイネルワイゼン」という全く違う題名にしてあるので,見る方も違和感を感じないのではないか。

 映画「陽炎座」は泉鏡花のそれと異なり,中盤まで子供芝居の場面——泉の作品では最初から子供芝居の劇場に松崎が迷い込んでいく——が出てこない。松崎と品子の邂逅と品子の夫で松崎のパトロンである玉脇に松崎が品子との邂逅(松崎は品子と言う名前も知らないし,それが玉脇の妻であることも知らない。行きずりの女としか思っていない。)を告げる場面に終始する。

 これは鈴木の映画と泉鏡花の小説では筋の展開方法が異なる故の差違でもある。

 鈴木清順は松崎が得体の知れない女と三度会い,会うほどに懇ろになりながらもどこか気味の悪い感覚,そして探究心が愛慾に変貌していく事への恐れを描き出している。映画の主人公松崎は得体の知れない女を警戒しつつも惹かれ,悩みながら堕ちていく,愛に対して我が儘で自分勝手で馬鹿な男の本質を映像化していく。その勝手な愛の追求が後半の子供芝居における事象,女たちの情念が齎す復讐へと結びついてくる。謎解きは後半へと進まなければ解けない。

 一方で泉鏡花の『陽炎座』は子供芝居を見ながら松崎がお稲と品子のエピソードを知り,自分がかつて3回ほどお稲を見たことを思い出すのだ。松崎にとってお稲も品子も恋人でもないし,恋愛の対象でもない。品子は芝居小屋で偶然同席した夫婦の奥方でしかないし,お稲は通りがかりで見ただけの美人さんでしかない。泉鏡花の作品において,女の情念は松崎には向けられずに法学士の男(映画では医者の玉脇にあたる)に向けられている。

 このように全く筋の展開が違うのだから,互いに共通点を求めて鑑賞するのはあまり意味がないと思う。なぜならば両作品の主題は別だからだ。

 さらに鈴木清順四方田犬彦氏とのインタビューでこんなすっとぼけたこと迄述べている。

 

 四方田:「『陽炎座』というのは鏡花の原作ですね。鏡花はお好きですか」

 鈴 木:「あれは、そうですか。鏡花がモトだったのですか。脚本を渡されて撮っただけで、鏡花は読んだことがないから……」

      (四方田、絶句。金沢での泉鏡花映画祭の壇上で)

 

 故に原作と映画作品の類似性やらを考えることはあまり意味がないことだと私は判断したい。

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2.登場人物の絡み方

 登場人物に関して言えば,泉鏡花の原作の方が単純でわかりやすい。押さえておく所は法学士,その婚約者だったお稲,お稲の婚約を私利私欲のために破壊する兄と兄嫁,法学士と結婚した品子,そしてこれらの人物とは全く関わりのない戯作者の松崎。あとは芝居小屋で松崎にお稲さんのことを話す古女房だ。鏡花の作品では松崎は最後の最後まで品子ともなんの関わりもない。最後に法学士の男に請われて品子を追って面倒なことに巻き込まれるまで。つまり松崎は傍観者として陽炎座に座っている客である。当事者でもなんでもない。強いて言えば読者の目線であると言えよう。品子はお稲に同情しつつも自分も哀れな女として法学士を憎んでいる。法学士は自分の過去が引き寄せた二人の妻の悲劇を理解しようとはしない。それどころか,自分の悲恋こそ二人の妻が抱いている悲劇だと勘違いしてこれまで生きてきている。その勘違いを認めない。最後の修羅場は品子の女としての権利と主張する幕切れであるが,最後の最後に,それが松崎がお稲の悲劇を知っての霊媒師による降霊を頼んだ話だったという,本文の殆どが非リアリズムのたまものだった大どんでん返しをやってくれる。松崎は法学士も,品子も,お稲さんも,古女房もみんな邂逅していない。霊媒師の口寄せに過ぎない。

法学士がお稲さんの霊を「お稲荷さんだよ」とうそぶいたように,この話全体が狐につままれた話なのである。泉鏡花の小説らしい構成ではないか。

 

 一方鈴木清順の映画は登場人物にコノテーション的なものがちりばめらる複雑さがある。例えばお稲さんは実は金髪碧眼のドイツ人で本名は Irene である。玉脇は暇人な医者であるが,ドイツ留学の際に Irene を見初めて連れて帰ってくるのである。この原作にはない,法学士を医者に変え,ドイツ留学時に恋人を作って帰国時に恋人も来日するエピソード,何か匂わないか?大正末期の舞台設定ではあるが,これは森鷗外とエリス,小説で言えば『舞姫』を安直に連想させるわかりやすい伏線を作っている。鷗外を慕って来日した本当のエリスはドイツへ帰国させられたが,玉脇は結婚してしまうのだ。ある意味「反森鷗外」的結末の人物。この趣が面白い。ただ,鷗外は明治時代の立身出世,富国強兵のために個人的恋愛を棄てて文学の中にこれを封じ込めた。そして現実の鷗外森林太郎の人生は諦念の連続だった。しかしながら,自分のエリス= Ireneとの恋愛を成就させ妻にできた玉脇はどうだろう?伯爵位のために品子を「購入」し,その結果個人主義社会からやって来た Irene は情念に苦しみ発狂してしまう。そして玉脇自身は「女なんて飽きたね。いちいち面倒くさい。」と愛情を拒絶し,性欲だけに女を求める諦念にたどり着いてしまった。結局鷗外も玉脇も異性との人間的関係には失敗したとしか言いようがない。この皮肉を脚本家は描きたかったように私には思えてならない。ちなみに玉脇を演じている中村嘉葎雄は,この映画の7年後に実相寺昭雄がメガホンを取った「帝都物語」で森鷗外を演じている。この「陽炎座」の美術が実相寺映画の美術を担当している池谷仙克なので,何らかの繋がりがあるように思えてならない。

 松崎はパトロン玉脇の気紛れに乗じて手のひらで弄ばれている悲しい男に過ぎない。そんなことは松崎自身も理解している。だが,理解していてもそこから逃れることは敢えてしない。ある意味芸術家の分際とは何かをわきまえていて,そうすることによって,苦しい生活から逃避行出来ることを知っているのである。諦念の人玉脇にとって,松崎は自分が諦念する分,希望を与えてやることで自分の代わりに面白いことをさせる道化師の役回り。玉脇には他人の人生を尊重する良心など全くない。人を愛することは——物理的な肉体関係という愛慾行為以外には——ない。愛を捨て去った人間と見える。だから松崎に人を愛させて楽しんでいるのである。彼にとって人間の恋愛は単なる余興に過ぎない。

 この余興の対象となったのが,二人の妻,お稲と品子である。お稲も品子も玉脇を愛している。だからこそ愛を棄てた玉脇には余興にうってつけの好都合な女だった。男を愛する女はその男を裏切らない,玉脇は自信を持っている。そんな玉脇をお稲も品子も初めは互いに嫉妬心を抱いたはずだ。嫉妬は互いの女に向かって,愛する玉脇には何の危害ももたらされない。しかし,二人は自覚する,玉脇は自分を愛していないと。その瞬間二人の愛情は嫉妬ではなく憎悪に変わる。その憎悪は玉脇に向けられる。金沢で同じ舟に呉越同舟のようにお稲と品子が乗り込んで進んでいくのは,その表象だと私は解釈する。そしてその憎悪を復讐に変えるために,松崎が山車にされるのである。しかも人の良い松崎は品子を愛してしまう。品子は松崎を愛していたのだろうか?復讐の鬼と化して松崎を懐柔する品子にとって,もし松崎を愛する気持ちがあるならば,4度会うための,金沢に誘う手紙は確かに書かないだろう。お稲の霊が品子に書かせたのならば,そういう品子の優柔不断な部分をお稲が補完して復讐を成就させようと画策したとしか言いようがない。心中が起こることを玉脇が知っているのも,お稲の霊が品子の優柔不断さにつけ込んで,品子と松崎の心中であると玉脇の嫉妬を惹起させるための策略を仕込んだのではないだろうか。お稲と品子は同じ目標=玉脇への復讐を抱いているが,互いに足らない部分を補っている関係に思えてならない。発狂して病院から出られないお稲に変わって品子が,松崎を手玉に取る。松崎を男として愛してしまいそうな品子に変わって,お稲の霊が松崎を金沢に誘い出す手紙を品子に書かせる。

 この映画にはアナボル(アナーキストボルシェビキ)の和田と玉脇の女中だったが,お手つきで鳥屋とカフェーで働いているみおが脇役として絡んでくる。この二人の役どころは「男がいかに女に愛情で惚れてしまうかという馬鹿さ加減」を話の伏線として紡ぐというものだ。男にとって,女はセックスをして寝取ってしまえば従順になる雌犬だと思い込んで,実は自分こそ女に溺れていく愚かな動物であることを,和田の生き方,和田が金沢で松崎に見せる人形の裏の細工,みおがなぜ玉脇の家から離れたのに,玉脇の息のかかった生活環境に甘んじて暮らしているのか,それはみおにとってもWIN-WINの関係だから,玉脇を慕っているようで利用しているのが実際だと言うことで「哀れなオス」を描写している。

 映画版の「陽炎座」の登場人物はこのように様々な役どころを担っているために複雑な動き,複雑な人との絡み方をしている。

 

3.映像と文章のÄsthetik

 泉鏡花の作品はいつも幻想的な主題であり,登場人物の人間性を刻んだ筋書きではなく,登場人物が伝説や童歌や物語に翻弄されながら,最後は何もなかったかのように狐につままれて終わる。鏡花の耽美とは文のリズムと筋の幻想性に尽きる。

 

 針で運んで縫ったように,姿を通して涼しさの靡くと同時に,袖にも褄にもすらすらと寂しの添った,痩せぎすな美しい女(ひと)に,

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 このように泉鏡花の文章はできるだけ七五調になるようにリズムを拵えている。これが彼の小説の中心的な題材になっている東京の下町の叙情を演出しているように私は思える。

 簡単に言ってみれば,歌舞伎の台詞のような文章を紡いでいるのだ。泉鏡花の作品は,実は音読することが一番重要であることを現代人は忘れている。

 

 一方で鈴木清順作品は映像で独自の美学を創造する。しかしそれは映画の文法を逆手に取った遊びで作り上げる。だから論理的に考えれば考えるほど鑑賞者は理解不能に陥るようになっている。橋のシーンにおける松崎は動いているのに手元の人物は静止している。理解不能な状況。登場人物就中品子の神出鬼没なモンタージュ楠田枝里子演じるお稲さんの金髪を黒く染め上げた高島田,そして青い目が月夜に光る違和感,女の魂だという酸漿(ほおずき)の存在。手漕ぎなのにモーターボートのように敏捷に水上を走行する舟にのって移動するお稲と品子,単なる廃墟としか思えない陽炎座周辺の様子。金にものを言わせる玉脇の華麗で絢爛な洋服姿。これはモボではない。どちらかと言えば,ナチスの高官ヘルマン・ゲーリングバロック趣味で自宅でそういう衣装ばかりを着ていたのと同じ匂いがする。服の好みが男性的ではないのだ。ベルばら風なのだ。

 

4.時代を遡ることと時代を反映させること

 泉鏡花の『陽炎座』は大正二年5月発表作品。1913年といえば森鷗外が『ファウスト』を翻訳し冨山房から出版した年。そしてその翻訳を元に近代劇協会が帝国劇場で上演した年だ。鏡花の作品は作品と発表当時の読者の生きている時代が一致している。昔の話ではなくて,その当時,現代に生きる人が現代の話として異常な空間を体験する不思議な話。時代を反映させた話である。しかし現代でも読者は違和感を感じる発端となる映像がない分,その時代の人間として本の世界に入り込める。文芸の世界とは,時代意識を目で感じることがない分,読者がアンガージュマンの文学として作品にのめり込める特徴をもっている。

 

 ところが鈴木清順の映画では我々は最初から大正末期という現代とはかけ離れた過去を訪れなければならない。鑑賞者の目に飛び込んでくるものが全て現代ではない。大正時代の衣装,乗り物,店構え,屋台で売られている飴細工…。ここに虚構の世界へと迷い込んだ意識が最後まで永遠に続く。この違和感がある限り,我々は映画の中に没入せずに客観的でいられるのだ。だからモーターボートのような手漕ぎ舟も陳腐だが見ていられる。お稲の容姿も普通はあり得ないが,見ていられる。鑑賞者が映画に入り込めない違和感を意識し続けられるからこそ,鈴木清順の不思議な美学は息づいていられる。ラストシーンの,瓶に飛び込む品子の口から出る酸漿と,その後一気に浮き上がる無数の酸漿の橙色。超現実の世界でこの映画が魅せるのは自然ではない異次元のものがとりまく知らない空間の表象。これを死んでいる人々の世界と呼ぶべきかはわからない。ただ,自分たちが生きている空間ではない。時代を遡る意識を持たせられて,最後には現実ではない見知らぬ空間へと登場人物たちが去って行くのを見届ける鑑賞者の私たち。この不思議な時間の経過が鈴木清順映画の存在感なのだろう。

 

 

5.女の情念をなぜ男が撮るのか

 ここからは「陽炎座」とその翌日見た「夢二」における女の情念を比べてみたいと思う。田中陽造がどちらも脚本を書いているが,鈴木清順のシュールな映像は1981年の「陽炎座」では筋の整合性をぶち壊すような暴力的かつ不自然的なものが主流となっている。現実世界ではない何か,がこの映画を占有している。ところが10年後に完成した1991年の「夢二」では,異次元的なものよりも金沢という古い日本にハイカラなものが継ぎ足されている独自の背景を十分に活用して現実における異次元空間を創り出している。「陽炎座」と異なり,目に見えているものは現実に存在しているもので,幻想ではない。

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 私はこの違いが二本の映画におけるテーマ,「女の情念」の質の違いを感じ取りたい。——人間にとって,人を愛することほど物理的エントロピーの高い精神的行為はない。嫌いな人物と会うことは確かにストレスになるが,大抵の人は分かってるのなら嫌いな人には会わないように避けるのである。ところが,好きな人物,好意を寄せる人物を避けて会わないなどという人はまずいまい。だが,会ったところで,自分が想像する相手との関わりは,単なる想像の産物で,実際に関わって体験する行為は予想を裏切る展開ばかり。気が気でない,思い通りに伝わらない,抱いたり・口づけたりする展開へ至るための駆け引きがあったりする…。これは精神的には困憊するものだ。況してや自分がこんなに恋心を抱いているのに相手が全く関心を持っていなかったら,またはかつては持っていたが,今は赤の他人へと関心が移っているのが明白だったら…。こんな辛いことはない。そのとき,その辛さの八つ当たりをどこへ向けるか…。

 愛の変容には二つの段階がある。

 一つは自分がこんなに愛しているのに他人に愛情が向けられている事を認識して,その他人に向かって抱く嫉妬である。この段階では自分の愛する対象には嫉妬しない。自分の愛する対象が関心を持っている者に対する嫉妬である。よって愛する人には変わらぬ愛情を抱き続ける。この情念が「夢二」における脇屋巴代,笠井彦乃の抱いているものだと思う。彼女たちは夢二を罰しない。殺さない。夢二と無理心中しない。「二人で生きて行く覚悟」を夢二に迫るのである。

 二つ目は自分の愛情が踏みにじられてしまったのを自覚して,それに対して憤怒の念がこみ上げてきて,愛する人が関心を持つ対象などはもうどうでもよくて,愛する人を憎悪で亡き者にする情念を抱くのである。ある意味恋愛至上主義止揚(aufheben)された形,自分のこれだけ深い愛を諦め・捨て去ることなど出来ず,現世から二人共が去ることで来世で結ばれると勝手な解釈を暴力的に実行する決意である。無理心中だ。

 人間の性差をどうのこうの言うのは今では不平等だと裁かれる時代になってしまったが,鈴木清順がこの映画を撮った時代は明らかに男女でこの情念への決断力と実行力には差があると思われていた。駆け落ちをしたり,無理心中をしたりする男女は一体どちらが強い決意を持っているか?見合い結婚の夫の教え子に恋し,夫と子供を残して駆け落ち,他にも妻子のある男性と不倫関係を続け泥沼を全て作品に書き込んだのは誰あろう瀬戸内晴美瀬戸内寂聴)だった。太宰治は3回の心中を図ってるが,1回目は太宰は生き延び,女(田部あつみ)が死んだ。2回目の妻小山初代との心中は失敗,3回目の心中で玉川上水に飛び込んでやっと二人とも死んだ。——こんなことを書くと女の決意は男の決意よりも強いように表現されるが,実のところはそうではない。厚生労働省の統計では令和4年の交際問題の自殺率は男性58.6%,女性41.4%で男性の方が多い。これは単なるイメージでしかない。イメージでしかないのだが,文学・芸術の世界で愛憎劇を彩るのはなぜか男性よりも女性をメインにした方が喜ばれるのだ。偏見に満ちているのは事実だが,絵になるのだろう。

 鈴木清順もそう思ったはずである。「陽炎座」では心中を強行した。松崎は単なる山車で,お稲も品子も愛を棄てて諦念に生きる玉脇と心中した。玉脇が二人の妻とあの世で結ばれたかどうかは分からない。一方松崎は品子に先立たれたが,自分の精神が品子の幽霊を見つけて心中する。精神とは,松崎の肉体から離れた彼の心だ。暗転後に登場する松崎は,アナボルの和田のように人が変わってしまった姿で登場する。

 「夢二」はどうだろう。脇屋巴代と笠井彦乃はすれ違っても呉越同舟はしない。互いにまみえることも最後の最後までない。しかし二人とも夢二と駆け落ちは相成らなかった。二人とも駆け落ちの場所まで来たし,脇屋巴代は途中まで駆け落ちしたが,場所を動かぬ夢二に着替えをしてくると去って行った。笠井彦乃は夢二を見つけることが出来なかった。女は行動した。しかし夢二は「僕は誰を待っているのだろう。」と自問自答しているのみ。

 まとめよう,男たちの様子を。玉脇は無理心中の巻き添えになった。彼がどんな思いを抱いたかは全く分からない。松崎は山車にされつつも品子に惚れ込んで,玉脇への愛憎を果たした彼女の姿を自分の精神が勝手に見つけた気になって魂を心中に捧げた。つまりこれ以降愛を諦念した。精神的に玉脇になったのである。プレイボーイの夢二は駆け落ちを回避してどこにたどり着くのか一向にわからない愛の揺らぎに身を任せている。皆勇気のない,愛に生きられないダメ男になってしまった。品子の言葉がダメ男たちを斬り捨てる

 

 「ホホホホホ。どこまでお馬鹿さんなんでしょう,男って。命を懸けてまでなぜ不義を働いたのか,女の気持ちなんてちっとも分かっていないんですから。」

 

 作家にとっても,芸術家にとっても,男性であれば,描写対象が女性であり,上のような台詞を吐いてくれれば,永遠にテーマが枯渇することはない。好都合な題材ではないか。

 自分の映画は娯楽映画であって大それた芸術ではない,要は興行成績が上がり,客が楽しめるための工夫や努力をするだけ,という鈴木清順のスタンスを考えればこの作り方は十分首肯出来るのではないか。

 

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野口さんの遺した言葉

 野口剛夫氏が急逝されてもう4ヶ月が過ぎた。

 彼の死がクラシック音楽界に何か危機感を与えたかというと、正直そんな影響はないかもしれない。

 彼と最初にメールでやり取りを始めた時、ご自身が自分は白眼視されていると書かれた。

 あの頃、野口氏のされている事は個人的な研究団体の立ち上げとそれに伴う彼自身のオーケストラの創設、そしてまだ彼が音楽大学で講師をされていたのを利用されての学内講演会を主宰されていた。

 これは確かに側から見れば狂気に近い行動力だと思う。だがそれをやり遂げられる熱意と気力を野口さんはお持ちだった。ひょんなことからそんな彼とメールのやり取りをするようになると、随所に「野口剛夫の音楽観」のようなものが見えてきた。

  野口さんとメールをやり取りする中で、彼が書かれた印象に残る言葉が多々あった。この機会にぜひ紹介させていただきたいと思う。(勿論鬼籍に入られた野口さんに承諾を得ている訳ではないので、ご遺族の方からのご依頼があれば即時削除させていただくつもりであるが。)


 彼は自前のオーケストラで好きな曲を演奏したかった訳だが、その好きな曲とは彼の立ち上げた東京フルトヴェングラー研究会のモットーでもある、フルトヴェングラーの作曲作品を演奏すること、そしてフルトヴェングラーが好んで演奏した曲を野口剛夫が再解釈して試演してみることだったと思う。

 ただ彼の自前のオーケストラといっても、団員はロボットではない。人間だ。しかも芸術を演奏する人々だ。プロ、アマ問わず募集していた彼の楽団はコンサートの都度メンバーが変わっている事も頻繁だったように記憶している。なぜなら、それだけ野口さんの要求が高いからである。例えプロでも、ついていける人と喧嘩別れしてしまう人がいたようだ。そんな不安定なオーケストラの存在がわかる彼の言葉がこれだ。


「指揮者としてはあまりにも好きな曲をやると、とても辛い時があります。曲の表現の以前に、曲を壊さないでほしいと思ってしまうからです。まず壊さないこと、美しいものに泥をぶっかけないこと、なのですが、ほとんどの演奏者はそれを平気でしている鈍感ぶりです。」


  歯に絹を着せぬ直接的な物言い。これを楽団員に面と向かって仰っていたのかどうかはわからないが、中には我慢ならない団員も出るだろう。だが、野口さんは至って真面目に音楽と向き合う方だから、妥協する事がない。それがともすると僭主的だと誤解されても仕方ない部分はあるかも知れない。


 音楽に対して純粋なお気持ちはその鑑賞の仕方にも伺われる。フルトヴェングラーは聴衆(Publikum)が音楽そのものではなく、その演奏会にまつわる音楽以外の文脈や社会の影響で聞こえてくるものを評価してしまう付加解釈を残念がっていた。そんなインタビューを勿論野口さんは読んでいらっしゃるわけで、彼の主張にもそういう部分が見て取れる。


「昨年の佐村河内事件でも考えさせられたのですが、音楽はそれそのものとして味わえればよいが、言うは易しで、なかなかそういうことができないのが普通の人間だと思います。(専門家は曲そのものを惑わされないで聞き取る強靭な力が必要ですが。)」

 

 野口さんは佐村河内事件について偽物である事を看破した人物として世間に躍り出ざるを得なくなったが、本当は偽物か否かよりも、作品の周囲にあるストーリーに踊らされて大して優れてもいない音楽作品を今世紀最高の作品であるかのような報道をする人々、評価をした人、それに与して演奏をし続けた専門家、踊らされた聴衆に対して「貴方は本当にその音楽そのものと対峙しましたか?」と最大限の疑問符を投げかけたかったのではないだろうか?

 野口さんはこんなことを私に書かれた。


「音楽以外のストーリーやイメージがどうせ付け加わるなら、音楽を引きたてるような良質のものであるべきで、音楽提供者はそこにむしろ神経を使うべきだと思います。」


 そして純粋に音楽に没頭できない事への危機感をこう述べていらした。


「音楽が純粋に聴かれないことはある程度は仕方がないけれど、むしろ危惧するのは、人々の曲との接し方がだんだんと博物館的、傍観者的になっていっているということです。」

 

 これは恐らくフルトヴェングラー聴きにありがちな、データ中心のコレクションに専心してしまう傾向や、音楽に耳を傾けて感動することよりもレコードの盤質・デジタルプロセスやCDよりもスーパーCD、オーディオDVDへと進化する製品の更新に精魂を傾ける愛好家に、音楽を聴く原点に戻りませんか?と提案しているのではないか。


 彼の敬愛するフルトヴェングラーは平時も有事も音楽に生きた人だった。我々にはかなりの録音が遺されたが、コロセウムのローマ市民の様に必死になって演奏する彼らを上から目線で「死に物狂いの演奏こそ最高だ。」と涼しい目で語っていないだろうか?そういう好奇な目で音楽を語る無責任な愛好家を、野口さんは音楽家目線で退けられている。


「生きるか死ぬかという状況は、精神的には戦争中でなくてもあり得るのではないか。フルトヴェングラーの演奏は戦争中のが一番、などと決めつけることが、他の演奏や、今の演奏行為への軽視になるとしたら、とても損なことですよね。そんな簡単なものじゃないはずですよね。」

 

 そしてレコードの発明以来150年が経とうとしている現在、時間芸術だった音楽が録音によって変貌したことによる弊害も彼は見据えておられた。


「様々な文明の利器で、他のもの、昔のものを知り過ぎてしまったということに、現代の人々の不幸もあるのかもしれません。」

 

 しかし野口さんはチェリビダッケの様な、録音自体に反対されていた方ではない。


「私は専門外なので録音の領域に深入りすることは今後もないと思いますが、専門家が昔の録音を愛でるだけでなく、積極的に修復、再現するということに乗り出すならば、大いに期待し応援したいです。」


 そのうえで、野口さんは現代の音楽家に自らエールを送っておられる。


「歴史的現象としてのフルトヴェングラーはどんどん過去に遠のいていくが、その分、自分の中のフルトヴェングラーを発掘して、それを超えてやる、くらいの気概がほしいですよね。」

 

 彼の指揮者としての演奏態度はまさにこれだったに違いない。彼の演奏は決してフルトヴェングラーのコピーだったのではない。それは大きな勘違いだ。彼はフルトヴェングラークナッパーツブッシュを好んだが、それを演奏会で真似しようとしたことは一度たりとてないはずだ。野口剛夫は音楽家であって、寄席芸人ではない。だから大指揮者のモノマネ芸人の様な目で見ている者は大誤解をしている。彼らと同じ楽譜、資料を使ってどんな適切な演奏が出来るか試みた音楽家だと言えよう。

 野口剛夫さんをあまり存じ上げない方が抱く間違ったイメージ、それは彼がディレッタントだと勘違いしている人が多いのではないか。彼はアマチュア演奏家ではなく、プロである。なぜなら音大で作曲家別宮貞雄氏に師事している云々という経歴もあるが、それより音大で講師をされていることである。大学で講師になるには、研究者か実務家しかいない。これはどんな大学でも例外のないことである。野口剛夫氏が都内の音楽大学で講師として教育活動に携わっていた事実は、彼はアマチュアではなく、プロの音楽家(すなわち実務家)か研究者である証なのだ。一見自前のオケと自前の研究団体、そして自前の出版社からCDだの書籍だのを出しているから勘違いされやすいが、彼は別にお金持ちの趣味人(ディレッタント)ではない。作曲も演奏も、学生を指導することも出来るプロフェッショナルの一人であることをここで明らかにしておきたい。

 いつからか、彼はご自身の作曲作品も演奏会に上げられるようになった。それはどんなご心境でご決意されたのかは今となってはわからない。


 野口さんの音楽に対するひたむきな情熱が、遺されたメールの文言から私の心を捉えてやまないのである。

 

「メンゲレと私」を見て考えたこと

1.三部作の共通点と今回の異なる点

 「メンゲレと私」鑑賞した。前作2作「ユダヤ人と私」,「ゲッベルスと私」と共通のB&Wで最初から最後までインタビューが流れる様式だが,アフタートークで渋谷先生が解説されていたように,前作2作ではインタビューの合間に流れる映像は出演者の実体験していない部分の真実を実写で見せて鑑賞者に情報の補完をしている様相だった。例えば「ゲッベルスと私」ではゲッベルスの秘書をしていたBrünnhilde Pommsel女史が「自分はゲッベルスタイピストだったが,別にナチス党の思想に共感していたわけではない」「給料が良かった。同僚も良い人ばかりだった」「強制収容所ガス室のことなど全く知らなかった」と当時のごく普通のドイツ市民が抱いていた回想が繰り返される中,市民の知らないところで行われていたユダヤ人殺戮,強制収容所の映像が流れて,Pommsel女史の当時の暮らしぶりと彼女の知らないナチス政権の蛮行がコントラストになって,映画を見ている者への情報として完成されるのである。

 ところが,今回の「メンゲレと私」で流れる当時の映像部分は米軍やソビエトナチス・ドイツによるプロパガンダ映画からの抜粋ばかりである。ともすれば,当時連合国と枢軸国はこんな映画を上映して国民を啓蒙?洗脳?していたと言わんばかりである。一方今回の証言者であるDaniel Chanoch氏のインタビュー部分は氏の波瀾万丈の逃亡劇で満ちている。まず生まれのリトアニアは20世紀には独立国として存在出来たのは僅かな時期で,1918年に独立国として回復するが,1940年にはソビエトに占領され,1941年にはナチス・ドイツに再占領,大戦末期の1944年には再びソビエト支配下になりこの支配は1991年まで続いた。そのリトアニアユダヤ人として生を受け,リトアニア人からもユダヤ人として白眼視された彼はアウシュビッツ強制収容所でその金髪・碧眼ゆえに死の医師メンゲレの寵愛を受けて生き延び,オーストリアに渡り,イタリアを経て,イスラエルに非合法に移住する。当時まだ13歳の少年であった。この飾ることのない冒険譚があまりにもリアルなため,むしろ事実の映像フィルムよりも当時両陣営が流していたプロパガンダフィルムの方が強いコントラストを見せることが出来るだろうと,制作者側が考えたのではあるまいか。

 

2.生きる事を維持出来た装置

 強制収容所に収容されて生き延びた人々に共通すること,それは絶望の中で絶望を理解せずに,生き延びるための希望・目的を棄てなかったことだ。今回の Daniel Chanochは収容当時まだ8歳の子供である。8歳で生きる希望を失えば容易く死んでしまうかもしれない。しかし彼には希望があった,それは父が齎したパレスチナの情報,日の光とオレンジの国,キブツでの希望溢れる生活,詩人と作家がいる国,この文化的に輝いている地域(当時パレスチナはイギリス領),約束の地に是非とも移住したいという憧れが8歳の少年を生きるための行動,我慢に我慢を重ねて,大人と同じようにアウシュビッツではユダヤ人の死体を運搬する仕事をこなし,メンゲレの度重なる選別にも疲れを見せない姿で乗り越え,目的の地へと向かうチャンスを虎視眈々と狙っていた。この「絶望を理解せずに希望を抱くことで危険を乗り越えるバイタリティー」がこの人を生かした。

 同じようなことを私は別の例で思い出した。同じアウシュビッツで生き延びた女子囚人たち。それはアウシュビッツ女子囚人オーケストラの面々である。彼女たちの上に立っていたのは,かの Gustav Mahler の姪だった Alma Rosé だ。この人も死の医師ヨーゼフ・メンゲレに寵愛されただけではなく,マーラーの姪であり,ウィーン・フィルコンサートマスターだった父親の才能を引き継いだヴァイオリニストとして尊敬され,彼女は囚人番号で呼ばれることなく,ナチスの管理者からFrau Rosé(ロゼさん)と呼ばれ個室で暮らしていた。そんな特別待遇のユダヤ人音楽家が率いる女子囚人オーケストラで,彼女が団員を鼓舞していた口癖がある。1つは”Wenn wir nicht gut spielen, werden wir ins Gas gehen.”(上手く演奏しなかったら,私たち,ガス室送りなのよ。),これは生き延びるための戒めの言葉である。もう一つは彼女の希望の言葉,”Das könnte sogar mein Vater hören.” (これをお父様が聴いてくれればなぁ。),オーケストラが上手に演奏出来たときに彼女が発するこの言葉こそ,オーケストラが存続するための目標になっていた。厳しい練習もこのために堪えられた。そして質の高い演奏がナチス管理者たちの誇りでもあった。残念ながらアルマは食中毒で亡くなってしまったが,団員たちはほぼ全員が終戦まで生き延びたのである。

 人は例え限界に置かれても,目標を失わなければその一条の光に向かって生き続ける可能性がある証左がこの生存者たちの証言ではないかと思う。希望は棄ててはいけないのだ。

 

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3.文化を求める人間の証

 収容所から解放された Daniel Chanochの行動で非常に面白い語りがある。それは日々の食料,生活物資を得るよりも,紙と鉛筆がほしかった。そしてある会社でそれを手に入れ,一晩中文字と絵を描き続けたという下りだ。彼はこれが自由の象徴,文明社会に戻ってきた証だったと述べている。

 人間は生きるために食料と衣服,住まう場所を求めるが,それは文明生活ではなく,最低限の,生物として存在するための必要条件なのだ。しかし思考する生物である人間は,文明・文化を創造しそれを享受して生きてきた。この欲求が紙と鉛筆だったのだ。これは我々の現代生活でも考えさせられることではないか。欧州では美術館や博物館,コンサート,映画館に行くとき付加価値税は食料品レベルに下げられている。生活必需品扱いである。音楽会に行くことは贅沢ではなく,人として生きるためには必要なものだという見解なのだ。

 文化を軽んじる政権は,人が労働して,その収入で食料と衣服と住まいを維持していれさえすれば幸せなのだと勘違いする。homo ludens たる人間は趣味や遊びを失ったら人間性を失ってしまうことが,彼の行動から反語的に理解出来るのではないだろうか。

 

4.野蛮とは何か,それは人を殺すことだけではない。

 この映画で語られたことで,今までのKZ(Konzentrationslager:強制収容所)映画で殆ど無視されてきた事実を敢えて語っている部分がある。それはカニバリズムだ。食料の危機,飢餓の危機は有事にはつきものだ。しかし戦死者を葬らずにその肉を食べることは,人間の築いてきた社会・文化を根底から崩壊させる蛮行である。もちろん殺人は蛮行だ。だから戦争は愚かな政治的決着だと言わざるを得ない。クラウゼヴィッツの『戦争論』で語られる戦争の目的は敵の戦意を喪失させて政治的解決をもたらすための実力行使だと言うことになる。殺人という蛮行を敢えて繰り返すことで戦意を喪失させるのだ。ここに戦争の政治的目的がある。

 ところがカニバリズムは政治ではない。この蛮行は生きるための手段として人間の尊厳を貶めて口に入れるのである。一度食料として口にすれば,次からはこれは蛮行ではなくなる。慣れてしまうからだ。生き続けるために人は子孫を残し,その一方で生き続けるために共食いを続けていくとすれば,死んだ死体のみならずそのうち生きている人間も生きるために殺して食べてしまうかもしれない。誰が生きるべきで誰が食べられるべきかなどどうやって決めるものだろうか?その蛮行の一歩手前が,目の前で死んだ者を弔わずに解体し食してしまう行為である。10代前半になっていたDaniel Chanoch はこれを平気の平左で行っていたハンガリー人が許せなかった。

 文明社会でカニバリズムが許されている社会とは,遺族の継承のための骨噛みや,敵を倒した際に完全制服を示す食人行為,または力を自分に移すための食人行為が多いが,中には単に食料として食べる場合がある。中国のように赤ん坊の肉を好んで食べるとか,また日本では首切り役人山田浅右衛門が死体を穢多頭の弾左衛門に渡し,弾左衛門が肝を丸薬にした人丹(じんたん)が売れに売れたと言う。明治初年になって全く違う丸薬だが,同じ音の「仁丹」が出たのはおそらく人丹のブランドが確立していたからであろう。

 人を食べる文化が普通に定着することは恐ろしいことである。その野蛮を極限状態の人間が行うのは許される行為かもしれないが,極限でも決して正常な行為ではないことを子供のDaniel でも直感的に思っていたのだ。Danielのいたアウシュビッツではメンゲレが双子の人体実験を繰り返していた。それを日常見ていたDanielが直感的にハンガリー人の人肉鍋を蹴り飛ばしていたのだ。地獄の中の地獄こそカニバリズムだと感じていたのだろう。彼の言うようにこのことについてはもっと究明されるべきだ。

 

5.3部作が完結してなおたりないもの

 このホロコースト証言シリーズ3部作はこれで完結した。「ゲッベルスと私」で加害者側のドイツ人の一般的な,ごく普通の暮らしが明らかにされ,「ユダヤ人と私」では生き延びたユダヤ人生存者を受け入れないオーストリア政府の戦後の「ユダヤ人撲滅政策」=オーストリア国内からユダヤ人を閉め出すこと=イスラエルに移住させてオーストリアユダヤ人を居住させないという理不尽な人々,現代の右翼勢力に繋がる危険な精神文化を白日の下にさらした。そして「メンゲレと私」では極限状態で生き延びることはどんな人間を作ってしまうのかをきれい事ではなく露骨に暴露した。

 しかしまだ,欠けているものがある。あとひとつ,明らかにされていない立場の人間がいる。それはホロコーストに参加した人間のインタビューである。当然そんな不道徳で,非倫理的な言動を記録して良いとは思わないが,しかしなぜ,文化的な,オペラを見て,スポーツを楽しむドイツ人が,平気で無感情にユダヤ人を裸にし,引っ立て,ガス室に送って,その夥しい死体を日常の光景として疑わなくなるのか,悪魔の気持ちがどこにも回想されていない。ランズマンの「ショア」ですらなし得なかったことだから,理性的に考えれば当然,今回の映画監督たちも出来るとは思えないのだが,しかし一番知りたいことでもある。

 

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