昨年末 Cimetière du Père-Lachaise を訪れたが,その目的は Goethe も絶賛した Faust の仏語訳者,後に作家・詩人として名を殘す Gérard de Nerval (1808-1855)の墓参。
折角巴里に來たのだから,誰か自分の興味ある人物の墓参りをしてみたかった。
Nervalが Faust第1部翻訳を試みたとき,まだリセ・シャルルマーニュの学生だった。1827年「メルクール」誌に Nerval による«La dernière scène de Faust»「ファウスト最後の場面」が掲載された。これがNerval 最初のエッセイだ。翌年 Nervalは自分の翻訳を出版。その2年後1830年1月3日のEckermannの記述で,Goethe はこのNerval訳 Faust をパラパラめくりながら語っている。
„Im Deutschen mag ich den ‚Faust‘ nicht mehr lesen; aber in dieser französischen Übersetzung wirkt alles wieder durchaus frisch, neu und geistreich.“ (「ドイツ語では『ファウスト』はもう読みたいとは思わないけれど,このフランス語訳はどこもみんな瑞々しくて,新鮮,そして才気に溢れているね。」)
死の2年前の,晩年の Goethe 自らに絶賛された若き翻訳家,文学者の Gérard de Nerval はこうして詩人・作家の道を歩むことになる。
FAUST : Si la douce jeune fille ne repose pas ce soir dans mes bras, à minuit nous nous séparons.
FAUST : Wenn nicht das süße junge Blut Heute Nacht un meinen Armen ruht; So sind wir um Mitternacht geschieden.(原文) ファウスト:今晩あのカワイイお嬢さまの寝顔を腕の中で拝めないなら,俺とお前は真夜中を以てお別れだ!(拙訳)
FAUST : Que murmures-tu? MARGUERITE : Il m’aime —— Il ne m’aime pas. FAUST : Douce figure du ciel! MARGUERITE : Il m’aime. — Non.— Il m’aime. —Non.…. Il m’aime! FAUST : … Il t’aime!comprends-tu ce que cela signifie? Il t’aime! MARGUERITE : Je frissonne!
Sterben werd' ich, um zu leben! Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du, Mein Herz, in einem Nu! Was du geschlagen, Zu Gott wird es dich tragen!死ぬるは生きるためなり! 蘇らん!今こそ蘇れかし, 我が意(こころ)よ,瞬時(たちまち)に! 汝を倒せしもの, 汝を天に導かむ!
強制収容所に収容されて生き延びた人々に共通すること,それは絶望の中で絶望を理解せずに,生き延びるための希望・目的を棄てなかったことだ。今回の Daniel Chanochは収容当時まだ8歳の子供である。8歳で生きる希望を失えば容易く死んでしまうかもしれない。しかし彼には希望があった,それは父が齎したパレスチナの情報,日の光とオレンジの国,キブツでの希望溢れる生活,詩人と作家がいる国,この文化的に輝いている地域(当時パレスチナはイギリス領),約束の地に是非とも移住したいという憧れが8歳の少年を生きるための行動,我慢に我慢を重ねて,大人と同じようにアウシュビッツではユダヤ人の死体を運搬する仕事をこなし,メンゲレの度重なる選別にも疲れを見せない姿で乗り越え,目的の地へと向かうチャンスを虎視眈々と狙っていた。この「絶望を理解せずに希望を抱くことで危険を乗り越えるバイタリティー」がこの人を生かした。
同じようなことを私は別の例で思い出した。同じアウシュビッツで生き延びた女子囚人たち。それはアウシュビッツ女子囚人オーケストラの面々である。彼女たちの上に立っていたのは,かの Gustav Mahler の姪だった Alma Rosé だ。この人も死の医師ヨーゼフ・メンゲレに寵愛されただけではなく,マーラーの姪であり,ウィーン・フィルのコンサートマスターだった父親の才能を引き継いだヴァイオリニストとして尊敬され,彼女は囚人番号で呼ばれることなく,ナチスの管理者からFrau Rosé(ロゼさん)と呼ばれ個室で暮らしていた。そんな特別待遇のユダヤ人音楽家が率いる女子囚人オーケストラで,彼女が団員を鼓舞していた口癖がある。1つは”Wenn wir nicht gut spielen, werden wir ins Gas gehen.”(上手く演奏しなかったら,私たち,ガス室送りなのよ。),これは生き延びるための戒めの言葉である。もう一つは彼女の希望の言葉,”Das könnte sogar mein Vater hören.” (これをお父様が聴いてくれればなぁ。),オーケストラが上手に演奏出来たときに彼女が発するこの言葉こそ,オーケストラが存続するための目標になっていた。厳しい練習もこのために堪えられた。そして質の高い演奏がナチス管理者たちの誇りでもあった。残念ながらアルマは食中毒で亡くなってしまったが,団員たちはほぼ全員が終戦まで生き延びたのである。