沖澤のどかの真面目な表現力に圧倒される

14. Mai 2023 im großen Konzerthaus von Tokyo Geijutsu Gekijou, Ikebukuro

1. Elgar Violinenkonzert

2. Wagner Tristan und Isolde Vorspiel zum 1.Aufzug & R.Strauss Tod und Verklärung (ohne Unterbrechung)

Tristan冒頭の,まるで幾重にも練り上げた銀糸花巻のように濃厚で緻密な音はいつも(分厚い音色の)の読響以上。至福の Wagner が聴けた。

テンポの揺らしかた,思ったよりも forteで出しているのにそれ以上に膨らませることの出来る無限大の fortesissimo,肝心なフレーズは雄大にゆっくりと,まるで Furtwängler のよう。現代に演奏には珍しい,アゴーギグを感じる揺れが素晴らしい表現力を作り出している。同時にこれにより複雑な音の塊を見事に整然と整列させて次の爆発的瞬間へと導いている。

自分がこの人を知ったのは DCH (Berliner Philharmoniker) で連邦大統領主催のウクライナ帯同コンサートで指揮をした時。こんな恵まれた修行をしている日本人がいるのだな,と感心した。実はBPでペトレンコのアシスタントをしていたとは。このオケのアシスタントをする日常の音楽性を持ち込めば,日本のオケもここまでリードされるんだなぁ。この日の読響は明らかに沖澤のどかの音楽に同調して演奏していた。一体感があった。きっとオケのメンバーも関心があった若手指揮者に違いない。

この人は必ず大成する。物凄い演奏に立ち会えた感じ。

R. Strauss もタップリ感が半端ない。Tod und Verklärung のクライマックスは音の複合体が非常に複雑に絡み,ともすると混濁した音の塊が収拾つかぬままに昇華のフレーズへと移ってしまう場合があるが,この演奏はそのような混濁がない。音が混濁しないようにラレンタンドしながら全ての楽器が1箇所のクライマックスへと集中し,凄いエネルギーがここで発せられた。難しい曲なのに見事である。

この演奏に接するまで,私は松尾葉子が土台を築き,西本智美が知名度を高めた女流指揮者としての道を,ブザンソンで優勝した沖澤のどかが更に発展させるようなスタンスでいたのだが,それは間違いだった。この人を Dirigentin と呼ぶべきではない。そんな意識を持たせない位「女流」の肩書きが不要な Dirigent なのである。

是非オペラも聴いてみたい。Bayreuth にもでて欲しい。期待に満ちた若手指揮者に幸あれ!