どこまでも共生を求め過ぎて歪曲する人々について

 日本の「道」の文化、茶道、花道、剣道、柔道などは可視的には技術を磨く鍛錬と稽古だが、それだけでは不十分で、精神の鍛錬も要求される。

 つまり技術が秀逸で素晴らしい生花、感心する程上手い茶の出来具合、小気味良い一本や敏捷で素早い小手も、それは技術だけで完成したものではなく、精神の強さ、心の平静を得てこその技となる、と考えられている。

 よって上手いだけでは充分な賞賛の対象とはされず、同時に精神が鍛錬されていても技術が伴っていなければ稽古不足ということになる。

 精神について要求される「道」は、海外ではスポーツや趣味として行われるので、可視的な部分だけで満足されてしまう傾向は否めない。しかし、禅に代表される日本の精神文化を全面に出した行為については海外でも理解ある実践者によって行われている。

 日本人のこの「道」好きはどの分野でも代用される傾向はある。「強さ」の尺度が「道」の場合は自分の精神を問われ、技術的な強さとは別個に重んじられる。西洋ではこの「道」が異常に「武士道」に偏っているのは事実だと思う。室町時代に成立した茶道、花道は町人文化ではあったが、この「道」を武士階級が城に持ち込んで政治に利用したおかげで今も続く文化になっている。

 そもそも「精神の鍛錬」とは具体的に何を目指しているのか?禅の境地と言われるものは、どんな事にも動じない平常心、私利私欲を排除した無私の心。鈴木大拙が『禅』の英語著作で世界中に広めたものは西洋思想で重要視される「自分」を強く主張し唯一無二の存在を作り上げるオリジナリティーとは正反対の、「自分」という欲を滅して、森羅万象の自然と同化して無我の境地に達する事によって得られる「無常」「平常心」という精神安定性である。

 何も考えずに存在し続ける没我の境地は、常に何を思考しているかが問われる西洋人にとってはとても新鮮で斬新なものだったに違いない。そして剣の道も「敵を倒す」のではなく、平常心によって見えてくる自分の心の害悪を切断する義剣の術を学びなさいと説得される。

 全てを自我との対立・闘いに帰する日本精神は周囲の環境に溶け入る自然との共生・共存と大きく関係している。人工的なものを違和とし、あるがままを同和とする社会観が日本社会を支配してきたからこそ、スピードワゴン効果を気にしたり、自分の考えをハッキリと言うのではなくそれとなく匂わせる行動が「事を荒立てない良い行い」と認識されてきた。

 しかし、この数十年で社会観を変えようとする動きが支配的になり、「人とは違って良い」、「君は何をする人か?」、「同じなんて言わないで好きな事をしなさい」と要求されるようになった。昔は「みんなは何を頼むかな?」と喫茶店で悩んでたことが、今は「みんなと違うメニューってどれだろう?」と180度違う視点が求められている。しかしスピードワゴン効果に敏感な日本人はこの「他人と違う事」すら周囲を気にして非ぬ方向に歪曲させてしまう。つまり自分の意志とは関係なしに違う事を求めて悩むなんて極端な馬鹿げた思考に支配される、まさに愚の骨頂である。

 自分のしたいこと、好きなことが他人と同じか違うかなんてどうでも良いではないか!それこそ自我を殺して差異を探すなんて愚かだし、没我する禅的思想にも繋がらない悲惨な滅私である。

テクスト批判と作品解釈について(執筆中)

 Textkritikを気にする文学愛好家はもはやディレッタントではなく、本物の文学研究に足を突っ込んだ者だと言える。

 例えば夏目漱石の作品を読むのに新潮文庫岩波文庫、角川文庫で読むのは普通だろう。まさかここで岩波書店漱石全集を買ったり借り出す人は極僅か、というよりいるだろうか?

 しかし結果として文庫本の文章と全集版の文章は異なる事を誰が気にするだろうか?

 夏目だけではない。耽美な作品として未だに人気が止まない三島由紀夫の作品だって、新潮文庫と新潮社の全集版では文章が違う。つまり彼らは旧仮名遣い、旧字体で書いているのだ。文庫本は編集部が新字体・現代仮名遣いに改めている。ーー「音読すればどちらだって同じ文章じゃないか!」とこの差異を問題にしないのが大方の筈。中身が分かれば良いのだ派は至極普通の人々。しかし[soːdɛsɯ̈]と発音していても、「そうです」という現代仮名遣いの細い明朝体と、漱石が書いた「左右です」を築地体活字で眺めるのでは全然印象が違う。

 このようにテクスト研究となると話は違う。作者が書いた原稿の表記、刊行された初版本の表記、以降の版のそれ、バージョン違いは明らかにされ、研究対象として選ばれるテキストはどれで、何故それを選択したのか理由を明らかにしないとならぬ。著者が存命中に諸版が出ている場合、改版の都度文章そのものが変更されている可能性もある。勿論それ以外に誤字の訂正も行われる。

 原稿が複数ある場合はもっと複雑だ。古典文学で写本で伝わっているものは複数のバージョンがあるのは当たり前。例えばドイツ文学の古典中の古典Nibelungenlied(『ニーベルンゲンの歌』)には3つの古い写本が残っている。(写本だけでカウントしたら30種類以上ある)この作品にはタイトルが書かれていないので、伝統的に最後の文章で「此ぞニーベルンゲンの歌なり」の部分からタイトルを決めている。しかしこれすら写本によっては Der Nibelunge Nôt(『ニーベルンゲンの災禍』)となっているものがある。

 同じように『源氏物語』だって100種類以上残っている写本より、「青表紙本」、「河内本」そして「別本」の3系統が少なくともあるという。我々が教科書等で手にする『源氏物語』はこれら写本の取捨選択の賜物だ。

 ドグマが重要な宗教教典ですら版の問題は避けられない。キリスト教の熱心な信者でも、自分が使っている聖書はどの版からの翻訳か知らないだろう。「旧約聖書」には発見後出版がそれほど進んでいない死海文書をはじめとして、完本としては最古のレニングラード写本、ギリシャ語に移されたSeptuaginta(70人訳)、全体の1/4しか残っていないが最古の文献とされるアレッポ写本などがある。70人訳はヘブライ語ではなくギリシャ語訳旧約聖書だが、これをテクストとしてカトリック教会の「ヴルガータ聖書」(ヒエロニムス訳ラテン語聖書)は作られているので看過できないし、この70人訳にしかない文言が書かれていたりする。

 新約聖書カトリック教会のものと正教会のものでは文が異なる。ともに伝統のあるテクストゆえにともにどちらを取捨選択すべきかの問題ではない。

 ゲーテの『ファウスト第1部』初版本では冒頭の「捧げる言葉」の21行目 Mein Leid (我が嘆きは)とあるが、手書きの原稿では Mein Lied (我が歌は)となっている。これは植字工の仕業だと書いている注釈本もある。しかしゲーテ存命中は訂正されずにどの版でもLeid のままだった。Lied になったのは死後の版からだ。何故なのか理由は分からない。

 ここまで来るともうPhilologie(文献学)の領域だ。Grimm兄弟は大学教員である以前に図書館司書だった。彼らが膨大なゲルマン民族の歴史・神話・物語・宗教・法律について著作できたのは図書館司書として文献が背後に並んでいたからである。

 こんな細かい事など瑣末だ、という読者は例えば音楽の世界では「瑣末だ」は通用しないことをご存知だろうか。ベートーヴェンの楽譜が読みにくいばっかりに、印刷に付すときに様々な差異が出る。それだけではない。当時のオーケストラ編成よりも大きな編成で演奏する場合、今度は指揮者が規模に合わせた修正を行っていく。ストラヴィンスキーのように自作自演の時にホールの残響や作曲家としての新たなアイデアにより演奏会ごとに総譜を変えてしまう事もある。そうなると一体曲の完成した形はどれなのかわからなくなる。勿論この事はクラシック音楽に限った事ではない。

 映画に代表される映像作品も完成品は何かわからない時がある。最初に封切られた1977年の「スターウォーズ」は今迄にないスケール感と特撮で聴衆の度肝を抜いたが、その20年後に公開された特別編では77年当時では再現できなかった事がCG等の最新技術で補完され、以後2019年のUltra HD Blu-Ray 版に至るまで何度も改訂がなされている。映像のみではなく、音楽にも手が加えられている。こう何度も改変があると、1977年にリアルタイムで映画館で見た人々にとって、あれは未完成作品だったのか?と疑問すら湧いてくるだろう。

 よく封切り後数年経って「ディレクターカット版」なるものが売り出される時がある。ディレクターとは監督の事だから、監督が直々に編集した理想の編集という事か。ではその前に公開された版は監督の編集以外に他人の意見やらアドバイスが入っているという事になる。映画会社なりが売るために編集に干渉しているという事だろうか?

 作品として作者が送り出したものは本当に未来永劫完成品として受容されるべきものか、実のところ心許ない。作者が没しても編集者が手を入れる。創作者がいなくても作品は変形していく可能性がある。

 ここで賢明な読者ならば気がつくであろう。創作者、作家、作曲家、芸術家の創造した産物は、編集者という創造者ではない者によって、市場で高い売り上げを得られるように改変されるのだ、という事を。作り手の産み落としたものに、販売のプロが化粧を施すのだ。

 編集者は誤字・脱字の訂正や文章の内容に対する出版社サイドの要求をするだけではない。作者を育てると言ったら良いような、作品が産み落とされるまでの叱咤激励をするときもある。しかも編集者は常に同じ作者にずっとついているとは限らない。編集者が変われば作品の売り込み方も変わるかもしれない。但し編集者はどれだけの手腕があっても、作者を超える事はないし、どんなに発言力があってもあとがきの謝辞に名前が載る程度の知名度しか与えられない。縁の下の力持ちであり Textkritik の最も厳しい対象である。そして編集者がgoサインを出さなければどんなに素晴らしい内容でも本は刊行されない。

 私が関わったある語学雑誌の編集者に例文の内容について修正を要求されたことがある。比較表現の勉強で例文として「もしクレオパトラがそれほど美しくなかったら…」と出したものへのNGコメントだった。ーー「主観的な形容詞を使った例文はやめてください。差別的に捉えられるので。」コレには正直驚いた。

 学問の世界では作品が研究の対象となる時、それはテクストと客観的に捉えられる。ある種の情報であるが、作品に付加される佇まいは考慮されない。例えば文学ならば文字情報のみがテクストであって、装丁だの印字された用紙の質とか活字印刷なのかオフセットなのかによる雰囲気とかはテクストには含まれない。絵画でいえば額縁を絵の一部と考えないのと同じである。音楽ならば総譜から生まれる楽曲については実演時の独自性を考慮しない(演奏家のオリジナリティを作曲家の作曲内容の一部にしない)事にあたるだろう。客観的な情報分析だからこそ学問的な整合性、普遍性を語る事が可能になる。その一方で受容者の心理的情動に直結する作用については言及を避ける事になる。

 これに対して、作品としての解釈は主観的なものを含んで来るので、受容者の心理的情動を十二分に語る事ができるが、それは全く自己中心的分析にしかなり得ない。

 作品とは作者が紡いだ生産物に宿る思いだ。初めは創造者たる作者の思いが宿っている。しかしその宿りは作者本人にしか分からない。この生産物が他者に公開された時、他者はその生産物に自分の思いを乗せる。これが他者一人ひとりの作品化である。

Yuval Sharon の魔笛が語りかける子ども目線とは?

am 30. Dezember 2023

Deutsche Staatsoper Unter den Linden の『魔笛』を堪能した。

演出はアメリカ人ながらウィーンやバイロイトでも演出経験のある1979年生まれの弱冠44歳の Yuval Sharon。

既に評論には書かれているが、この演出は日本のマンガ文化をかなり取り入れている。まずタミーノとパミーナの出立ちは手塚治虫のアトムとウランそっくり。

パパゲーナの顔から出ている長い嘴はどこか明治製菓チョコボールキョロちゃんを思い出させる。

第3幕でパパゲーノとパパゲーナの間に生まれる子供たちは耳の長いぬいぐるみなのだが、これがまた、あいだいろのマンガ「地縛少年花子くん」に出てくるキャラクター、「もっけ」(勿怪)にそっくり、否そのものにように見える。

また劇中タミーノとパパゲーノを激励する3人の少年たちは猿の格好をしているが、カーテンコールで彼らがポーズしたのは「見ざる言わざる聞かざる」だった。『魔笛』では試練に挑戦するタミーノたちが「見てはいけない」「口をきいてはいけない」と言う部分があるのでそこからのアイデアかも知れない。——こうした日本文化を彷彿とさせる切り口が沢山あるのだが、パンフレットの演出家の言葉にも、演奏評にも具体的な言及は全くない。

つまり、ベルリン国立歌劇場に集う殆どの聴衆にはこのマンガ文化的雰囲気は理解できても、日本のどのマンガに影響を受けているのか、あるいは外国人が日本観光でよく行くであろう日光東照宮にある有名な木彫りの装飾のことなど全く知らないであろう事をわかって敢えてこう言う「らしき」演出をしているのだろう。

その証拠にパンフレット上の演出家の文章のタイトルが

Durch die Augen eines Kindes—ある子供の目を通して

なのだ。本文にもあるのだが、グジュペリの『小さな王子』で6歳の子供が像を想像するくだりを引き合いに出して、「魔笛の聴衆もやれシェイクスピア的な万華鏡のような視点がどうのこうのとか哲学的にナイーヴだとか言う話は置いておいて、子供が持っている耳と目で鑑賞することが最高の理解につながるのだ。」と結んでいる。なぜなら「モーツァルトの音楽は青春の謳歌なのだから。」

Sharonの主張によれば、「『魔笛』のベストな観客はベルイマンの映画版魔笛に登場する聴衆役の小さな女の子だ。」そうである。

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Sharonはこのコンセプトのために、子供たちがクリスマスのイベントととして、人形芝居で遊んでいる前提を作り、Staatsoper の額縁の中にもう一つ人形芝居の額縁を作らせている。そして魔笛のキャラクターは全て糸のついた操り人形で、劇中でもあちこちに釣られて飛んでいく。

悪の象徴であるモノスタトスは真っ黒だが、その出立ちはダースベーダーミッキーマウスの耳をつけた感じで、さらに背中にゼンマイがあり、歩く姿は1950-60年代のブリキ製のロボット玩具のよう。

このコンセプトを成就するのに鉄腕アトムを持ってきたのならば、「子ども心を取り戻すのになぜ今アトムなの?」と不思議がるのが現代人ではないか?他にあるだろう…?と。

そこで思いついたのが、Sharonは今回のオペラの聴衆に「子どもの目線」を要求しているが、決して「子どもが聴衆である事を前提に」はしていないのだ。出てくる小道具のおもちゃ(プラスチック製の宇宙ロケットがタミーノの笛)も、先ほどのアトムやモノスタトスのミッキーマウス&ダースベーダーも、1960年代の大人が子どもだった時代に見聞したであろう事物なのだ。つまり50-60代のオジサン、オバサンを想定して、彼らが一眼で理解できるキャラクターなり小道具なりでオペラを構成しているのではないか。——ただこの考えでいくと、「もっけ」だけは異なる。この年代の人には全然わからないキャラクターだから。とは言ってもアトムとかキョロちゃん、「見ざる言わざる聞かざる」この年代の日本人にしかわからないことではないか?例え50代のオジサン、オバサンでもドイツ人にはわからない?——だから雰囲気作りか?と思ったのだ。

人形芝居はヨーロッパでは貴族や裕福な家庭ではクリスマスのイベントととして子どもたちが楽しみにしている伝統がある。それこそゲーテファウスト博士と言うキャラクターに出会ったのは、子ども時代の人形芝居からだ。見る楽しみと同時に、クリスマスを盛り上げるイベントととして、裕福な家庭では子どもたちが人形芝居を大人たちに披露するのだ。だからお金持ちの家には人形芝居セットがあるものだった。トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』のクリスマスシーンにも出てくる。

さらにSharonが子どもの目と耳で鑑賞させる道具として演出したのが、Singspielの台詞部分を、出演者に語らせず、録音された子どもの音読を流すと言う行為だ。子役の上手な朗読ではない、そこらにいる子どもが台詞を読んだような、チョット棒読みに近い音読。まさに先述した、「大人に向けて人形芝居を披露する子どもたち」なのだ。

パンフレットにはこれでもかと古今東西の名言が散りばめられている。

 

「天国は3つのものからできているようだ。夜の星、昼の花そして子どもの眼。」——ダンテ

「人は自然界の操り人形の様なものだ。」——仏陀

「本気で遊びたいならば、人は遊んでいる間は子どもに還らなくてはならない。」——ホイジンガー『ホモ・ルーデンス


こうした徹底的な子ども目線の要求から得られるこの『魔笛』の意味は何か?——勿論楽しかったあの時代の回想による気持ちの蘇生もあるだろう。1960年代以前生まれの大人にはSharonも企図する子どもの眼と耳は当てはまらない気がする。なぜなら第二次世界大戦直後で子どもは飢えと物不足に苦しんだからだ。ドイツも日本も人形芝居どころか、人形1つさえ手に入れるのは困難だった時代だ。だから70歳以上の大人にはこのは理解しづらいし同感できないだろう。

そうだ、この演出の先駆けがあったのを思い出した。2005年から数年間新国立劇場で上演された実相寺昭雄が演出した『魔笛』。円谷プロ全面協力のもと、ウルトラマンウルトラセブンの監督である実相寺昭雄が手がけたもの。これとてウルトラものだからと子ども向けに制作した訳ではなく、「ウルトラマンウルトラセブンを見て育った世代の大人に向けて演出した」ものだった。

オジサン、オバサンが子どもに戻って見る『魔笛』、そのココロは?こんな想像をしてみた。

竜に襲われるタミーノ→「嗚呼、あの頃ひとりでお遣いにいくと角の家に大きな犬がいて怖かったなぁ。」

パミーナの姿→「幼稚園時代、隣の席の典子ちゃんは可愛かった。将来お嫁さんにしようと決心してたよな。」

ザラストロ→近所のまとめ役のオジサン。いつも通りで声掛けられたな、「おい坊主、どこ行くんだ?」って。

パパゲーノの首吊り→青年期の生きづらさ

夜の女王とパミーナの決別→母子分離

タミーノとパミーナの試練→若い僕たち二人の恋愛にはいつも障壁があったね。

二組のカップルの誕生→結婚と言う人生

パパゲーノとパパゲーナの子作り→子どもの誕生

そして、人生と言う人形芝居を大人に披露した子どもたちが「やったぜ!」と喜びに身を震わす場面で幕。

→子供から学ぶことはいっぱいあるよ。(by演出家)

こう言うことではなかろうか?

飛ぶ鳥を落とす演出家Sharonのことだ。

きっとそういうことだろう。

 

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Silvesterkonzert 2023 in der Philharmonie, Berlin

Silvester 初日(12月29日)は最高の出来だった。

第1曲目のタンホイザー序曲は音のレンジの幅を巧妙に制御した演奏。pから始まって徐々にffに広がっていく音の幅。

メインプログラムのワルキューレ第1幕はヨーナス・カウフマンはもちろんのこと、ツェッペンフェルトも素晴らしかった。とりわけSieglinde役のミクネヴィチューテはドラマティックでありながら雑さを全く感じさせない、まるでBrünnhilde役がSieglindeを歌っているかのような印象だった。この人はStaatsoper zu Unter den Linden でもSieglindeを歌っているので、このレパートリーは高い評価を得ていると言うことだろう。

カウフマンのSiegmundが絶好調だったのは長い長い対空時間の „Wälse“ „Wälsubgen Blut“ でも良くわかった。往年の Lauritz Melchior や Max Lorenz を聞いているかのようだった。

ペトレンコのタクトは当然の如く冴に冴えていた。流石に Bayerische Staatsoper, Bayreuther Festspiele で „Ring“ を振ってきた人である。冒頭からクレッシェンドが見事に表現された弦——特にコントラバス——のアタックが聴衆をSaga(神話)の世界へと誘ってくれる。

出しゃばりすぎず、且つ英雄的にLeitmotivを奏でる金管セクション,目の醒める豪快な連打の2台のティンパニ。あまりにも上手くて、これが超一流のソリストたちの集合体だから出来ているのを全く忘れさせる程の自然さ!

この日、ベルリン・フィルは珍しくアンコールを演奏した。 Lohengrin Vorspiel zum 3. Aufzug だ。Die Walküre 1.Aufzug が Siemund, Sieglinde の近親婚で終わるせいか、 Zugabe にこれを持ってくるとは心憎い演出だ。とても軽快な、快速電車のようなスピードが最初から最後まで崩れず演奏されるところが、Virtuosen による Zugabe感を強く感じた。

DCHのライヴは31日。同じ演目をネットで見られるのが楽しみだ。

 

Hans Werner Henze "Gogo no Eikou"(Das verratene Meer) と三島由紀夫の『午後の曳航』

0.はじめに

Hans Werner Henze は20世紀〜21世紀にかけてコンテンポラリー作曲家として名を馳せている。1980年代後半に彼は三島由紀夫『午後の曳航』を題材にオペラを作曲した。今回,このオペラの改訂版,ドイツ語版の日本初演が2023年11月23日,日比谷の日生劇場で上演された。以下はその所感と考察である。

 



1.家父長制度と戦後の父親ープロイセン的父像への疑念と破壊

三島由紀夫の原作にはこんな下りがある。

 

正しい父親なんてものはありえない。なぜつて、父親といふ役割そのものが悪の形だからさ。奴らは僕たちの人生の行く手に立ちふさがつて、自分の劣等感だの、叶えられなかつた望みだの、怨恨だの、理想だの、自分が一生たうとう人に言へなかった負け目だの、罪だの、甘つたるい夢だの、自分がたうとう従う勇気のなかつた戒律だの、……さういふ莫迦々々しいものを何もかも、息子に押しつけてやらうと身構へてゐる。

父親はこの世界の蝿なんだ。あいつらはじつと狙つてゐて、僕たちの腐敗につけ込むんだ。あいつらは僕たちの母親と交つたことを、世界中にふれ廻る汚ならしい蝿だ。

 

登たち多感な13歳がなぜ父親をこのような非難の矛先にするのかといえば,この年代特有の自我同一性の確立への発達課題に直面しているからであろう。

娘のエレクトラ・コンプレックスに対するエディプス・コンプレックスを三島は描いた。そして「14歳までの法的無罪措置」を自分達に与えられた英雄としての力だと理解し、英雄になれなかった大人=竜二の殺害を企画する。

登にとって初めて会った時の竜二は英雄だった。英雄とは登が憧れる男の姿,理想の偶像である。この存在はかつてプロイセン的父親,日本の家父長制の反映ともいえまいか。『午後の曳航』は戦後進駐軍が帰った直後の話である。戦前の家父長制が敗戦と共に音を立てて崩れ始める。彼は,身を立て名を挙げやよ励みつつ,国家には滅私奉公する戦前の父親の神々しい主人の姿から,民主主義で急に変節した日和見主義的行動を実見して,英雄だった父親は実は最低の人間だと貶めた登の仲間「1号」のような少年たちに感化されている。
実はドイツでもこの思潮は同じだった。戦地に赴いた父親が帰ってくる。しかしその父親は嘗ての,ヒトラーを熱く支持する国家主義者の,世界に立つドイツを背負った父親ではなかった。疲れ果て,何事にも関心を失った,心ここにあらずの哀れな男にしか見えなかった。そんな父親を見たドイツの少年たちはプロイセン的父親像を否定することで自分たちの失った偶像のアイデンティティを補完しようとする。

二つの敗戦国では父親はいまや存在を打ち消された生ける屍だったのである。

ただし三島の用意したこの時代の反映を,オペラ作者のヘンツェは意欲的に導入していない。ヘンツェは登の語る英雄としての竜二や,英雄ではなくなっていく竜二について登たちのグループで語らせるが,父親についての評価は筋の進行上必要なものだけリブレットにしているように感じる。この部分はヘンツェは原作を十分に考慮していないのかもしれない,というか1926年生まれのヘンツェの青少年期はまさにナチスの時代であった。熱狂的なヒトラー信者であった父親,大好きな芸術が制限される社会へのショック,1号たちのように理想を保持するための「猫殺し」のようなガス抜きをしようにもHJというプライベートのない監視社会で生活していたヘンツェの自分を明かさない用意周到な自己防衛本能が無意識に現れているのかもしれない。

 

2.ヘンツェ版の "Das verratene Meer" または「午後の曳航」について

ヘンツェのオペラには二つのバージョンがある。
初稿は ""Das verratene Meer"(裏切られた海)というタイトルで 1990年ベルリン・ドイツ・オペラにて Götz Friedrich の演出で初演されている。
2003年に日本でセミステージ形式上演が企画され,その際改訂と歌詞をドイツ語から日本語に訳された版が完成した。この改訂版は2006年ザルツブルク音楽祭にて日本語台本のままで初演されている。今回の版は改訂版だが、リブレットはオリジナルのドイツ語である。これは2020年にウィーン国立歌劇場で上演することになり,ドイツ語に戻されたのである。
ドイツ語のリブレットを書いたのは作家のHans-Ulrich Treichel(1952ー)で、この作家は Der Verlorene(失われた者)という第二次世界大戦で家族を失った両親をテーマに自身の幼少時代を反映した作品で有名になった。
Treichel(トライヒェル)のリブレットは思ったよりも三島の原作に忠実だった。ただ、原作にはなくオペラの台詞として印象的だったのは、房子の

Aber wer schön ist, der bleibt nur,
solang man ihn ansieht, schön,
美しさを保っているのは
誰かに見られているから


これは当然房子は登が穴から自分を見ていると思って言っている訳ではない。たった33歳で寡婦となってしまった房子の,女としての寂しさが反映されているのだろう。三島の原作にはコレとは違うが,

登は母が眠る前に,まだ寝苦しいほどの暑さではないのに,一度すつかり裸かになる癖があるのを知つた。姿見は部屋の見えない一隅にあつたので,裸かの母があまり姿見に近寄りすぎると,覗くのにひどく難儀をした。

 

という文がある。母親は自分の裸体を毎日観察しているのだ。それは一種のナルシズムかもしれない。若いのに女を我慢して,母としてのみ生きる自分が唯一女を解放する時間,それが就寝前の裸体なのかも知れ得ない。ヘンツェのオペラではこれが自室の内省的独白を越境して,「見られている」と他者を意識する告白,あるいは(見られたい)という房子の願望に変えている。リブレットでは房子の「女である部分」を告白させている。

 

Seit du tot bist,
ist es still in mir.
Mein Leib ist ein Stein,
der zwischen Steinen liegt.
Ich bin ein Garten,
unter Schnee verborgen.

あなたが亡くなって,
私の中で全てが止まっています。
私の体は隣同士囲まれあった,
煉瓦のよう。
雪の下に隠されている,
お庭が今の私だわ

Wenn das Mondlicht den Schnee berührt,
dann beginnen die Steine
von der Liebe zu träumen.

月の光が雪に触れれば,
煉瓦はみな
恋を夢見る

 

新左翼の信奉者でホモセクシュアルのヘンツェにとって,この三島作品に興味を抱くとすれば,やはりホモセクシャル的な場面であろう。この作品にとってヘンツェが興味を引きそうなのは,登が竜二を英雄と憧れる箇所,そして登とその仲間が群れる場面だろう。

Treichel のリブレットは登の性的興奮をかなり肉感的に伝えている。第一場で登が房子の部屋を覗くときの登の台詞

 

Wie schön sie ist ... ihre Brüste ... ihr Bauch ... in ihren Achseln ... Schweiß... auf ihrer Brust ... so weiß ... sie atmet tief ... ihre Haut ... 

何て綺麗なママ,... ママの乳房 ... ママの下半身 ... ママの肩に…汗が…ママの乳房に流れていく…なんて白いんだ…ママはゆっくり息を吸う…ママの肌…

 

同じような肉感的な台詞をTreichel の筆は竜二と房子の濡れ場の後,休んでいる2人の寝室に忍び込む登に言わせる。

 

Ah, in meinem Armen ... die ganze Welt, meine Augen, ich schau dem Seeman direkt ins Gesicht ... vollkommen ... die Welt ist vollkommen ... ich habe dem Seeman direkt in die Augen gesehen ... er gehört mir ... die Nacht gehört mir.

ああ,僕の腕の中に,全世界を,僕の目は,僕はあの船乗りの顔を直接見てやろう。…完全だ…世界は完全になった。僕はあの船乗りをこの目で直に見たんだ。あの人は僕のもの。この夜は僕のものなんだ。


三島の原作では,竜二,房子,登の3人の心理はどれも等価値に描写されている。しかしヘンツェのオペラでは登の心理が他の二人の描写よりも多く描かれている。房子に到っては第2幕冬 第13場のみソロで心情を歌唱するだけで,他は筋書き通りの進行を歌うのみ。明らかに房子の女心はヘンツェの興味ではなかったのだろう。

 



3.1963年の厨二病

『午後の曳航』はまだ「厨二病」という言葉が存在しなかった時代に三島由紀夫が書いた、大人になる事を拒否する厨二病から覚めない少年たちによる、理想世界を破壊する者への処罰行為の物語である。
これをなぜHenzeがオペラにしようと取り上げたのか、そして欧州で好評を以て上演されているのか?三島由紀夫という作家のネームバリューだけでは納得できない疑問がある。
そして私自身が大変不思議に思うのが,現代の日本人だったら手短に「こりゃ厨二病でしょ。」で済む話だが,そんなスラングや日本の青少年の文化など知らない欧米人が,この若者の理想を追い求めすぎるが故に大人になることを拒否し,理想から外れた竜二に罰を下す実行力,——例の酒鬼薔薇事件を連想できる,否当時は少年Aこそ『午後の曳航』を実行したのだと言われたものだ。——になぜ魅力と興味を感じているのかということだ。欧米的に言えばバリーの『ピーターパン』が連想されるような物語である。
三島がこの小説を発表した1963年は60年安保闘争終結し,全学連・ブント全学連が敗北と総括して分裂し,一時下火になった時期である。このあと全共闘学生運動の主導権を握っていく。社会思潮としては学生運動は一時白けた時期,それがこの『午後の曳航』の生まれた背景にある。当時若者の大学進学率はたったの10%しかない。当時学生運動の中核にいた者たちが,警察に厳しく取り締まられず,多くが無罪になったのは,彼らが将来日本社会を牽引する幹部候補生だったからに他ならない。(残りの90%は既に社会人として日本社会の歯車に組み込まれているのだ。この90%の上に将来君臨するのが彼ら10%の存在なのだ。この差別化を,後世の今学生運動について論じる若い世代は十分考慮に入れなければならない。そうでなければ理解出来ない現象が沢山あるはずだ。)
このエリートの若者たちの青春の爆発が学生運動だとしたら,登とその仲間たち——概して小柄で繊弱な13歳ではあるが,みんな知的には優秀で,学校の先生すら彼らを推賞する,横浜のお坊ちゃんたち——の行為も,この大学生と同じ目線で描かれた,特権階級の青春の爆発で収斂されるに違いない。三島は登たちの闘争活動を「猫殺し」で再現した。バリケードを築いて校舎を占拠し,屋上からコンクリートを投げつけて機動隊を駆逐しようとした行為の代替として。特権階級の知的エリートの社会への反逆行為として。

『僕は殺したぞ』『僕はどんなひどいことだってやれるんだ』

オペラにおいてはこの青春の爆発が若者たちの集会で再現される。原作では壁に書かれた落書き「山下公園で逢いましょう」「若者よ,恋をしよう!」「忘れろ,女なんかは」etc. はオペラでは1号らの台詞が落書きされる Mein Vater (俺の父親), unmöglich(不可能) など。1号から5号までの5人は詰襟の学生服の下に赤,黄,緑のシャツを着ている。学生服の上着はボタンを留めずにジャケットのように開けてある。とても13歳には見えない。1980年代の校内暴力で目にした不良高校生のようだ。
3号の登は白い学生服のシャツに黒い制服のズボン。まだ他の生徒のように不良学生になりきれていない出で立ちだ。——お坊ちゃまがワルになること——まさに厨二病の憧れを演出の宮本亞門は舞台上で見せてくれている。 

猫を殺すシーンはオペラでは登の行為する所で終わる。三島のテキストにあるような,殺した後のセリフはない。


この物語では登のグループの首領である1号こそ最も重篤厨二病に罹患していて,彼のリーダーシップでこのグループはどんな悪行をもこなせるのだ。オペラでは猫殺しは集合場所で行われていたが,原作では1号の自宅で行われる。その際に1号の豪奢な自宅が閑散として寂しく描かれている。この寂しさが1号のニヒリズムを育てたと予想できる描写がある。

世界の圧倒的な虚しさに関する彼の考察は,このがらんどうな家のおかげで養はれたふしがあつた。こんなにどこでも出入り自由で,こんなにどの部屋も冷たく片附いてゐる家はめづらしい。


登場人物の主人公は登だが,この作品に流れる少年たちの「無感情を養う態度」は1号の思想そのものであり,テーマを探るのであれば1号の思想にスポットライトを当てることが鍵となる。彼こそ厨二病による行為を肯定する強い意志の持ち主だからだ。

これが最後の機会なんだ。このチャンスをのがしたら,僕たちは人間の自由が命ずる最上のこと,世界の虚無を塡めるためにぜひとも必要なことを,自分の命と引換へる覚悟がなければ出来なくなつてしまふんだ。
今を失つたら,僕たちはもう一生,盗みも殺人も,人間の自由を証明する行為は何一つ出来なくなつてしまふんだ。……鼠の一生を送るやうになるんだ。それから結婚して,子どもを作つて,世の中でいちばん醜悪な父親といふものになるんだよ。

このような考えかたを持ち続け,ネバーランドに居住し目覚めることを拒否する少年たち。それを厨二病現代社会が呼ぶのならば,私の知っているある人はこの病についてこんな見解を示している。

もしこの世に厨二病という病が本当にあるとすれば、それは「暗くて過激」な世界を愛好している気でいて、実はそれが持つ優しさに赤ん坊の如くあやされていることにいつまでも気付けないことだ。

そうだ,1号は家庭の寂しさのあまりに暗く過激な世界で癒やされる少年になっている。そしてそれにあやされているだけで,自分自身の発達課題を克服するのを先延ばしにしているだけに過ぎないことには気づいていない。だから1号はこう続ける。

血が必要なんだ!人間の血が!さうしなくちや,この空つぽの世界は蒼ざめて枯れ果ててしまふんだ。僕たちはあの男の生きのいい血を搾り取つて,死にかけてゐる宇宙,死にかけてゐる空,死にかけてゐる森,死にかけてゐる大地に輸血してやらなくちやいけないんだ。

13歳という年齢が法律上彼らを特権階級にする。彼らはその特権を塚崎竜二の殺害において行使するのである。1963年の大学生はそのエリート性から,社会や警察から許された。しかし登たちはそんなお目こぼしではなく,積極的に特権を行使できる優越性を意識している。
オペラではこの部分は十分に表現されていない。オペラのリブレットにあるのは,

 

Jeder von uns ist ein vollkommenes Wesen.
Aber die welt, in der wir leben, ist leer. 
僕たちはだれもがみんな完全な存在だ。
でも僕たちの住む世界は空っぽなんだ。

Aber Ryuji Tsukazaki ist nur ein Symbol ...
Ganz recht! Und wenn ein Symbol nichts mehr bedeutet, dann ist es leer und tot.
Der Seeman hängt schon längst an einem Baum.
でも塚崎竜二はただのシンボルに過ぎない…
そうだ!そしてシンボルがもはや意味を成さなくなったら,
それは空虚で死んでいるんだ。
船乗りはもう長いこと木に首を吊っている状態なんだ。

 

法的に罪に問われないからこそ,今の時期に処刑を執行しなければならない,という三島の敷いた完全自由で不道徳なレールをヘンツェは十分に理解していたのだろうか。単なる少年犯罪としか見ていない。
この部分は演出家が如何に三島の原作を読んで理解したかにかかっている。2020年のウィーン国立歌劇場上演で演出を担当した Jossi Wieler と Sergio Morabito の発言では彼らは13歳の子どもたちについては原作を読み理解しているが,彼らが演出として全面に出したいのは3人のメインキャストそれぞれが抱く Alptraum(悪夢)と Traum(夢)の交錯を如何にヘンツェの音楽がドラマティックに,且つ耽美的に語っているかのようである。ヘンツェのこのオペラはヴァーグナーR.シュトラウスによって構築された Musikdrama的 オペラの延長戦上にあるとしている。所謂 recitativo でも Singspiel でもない,音楽と台詞が途切れることなくドラマを導いていく Musikdrama であることを演出家は特に意識し,場と場の間に演奏される Zwischenspiel(間奏) に注目している。
いずれにせよ,西洋人には子どもによる大犯罪という事実に至るまでの3人の登場人物の愛憎劇だと基本的には捉えているようだ。房子と竜二の愛の物語を破壊しようとする登たち子ども。これが単なる母親を盗られる13歳の少年の抱く多感な衝動的感情だと短絡的に読まれても致し方ないことなのかも知れない。三島の筆致はそれを「美」で補っていると思われている節がある。ただし,このオペラの演出で三島が強く意識しているような「日本の美意識」を全面に出したものはないと思う。これは日本人の演出家でないと気づけないことも多いだろうし,西洋人には「東洋の神秘」程度のスパイスにしか思われないだろう。

 

4.三島とヘンツェのホモセクシュアリティ

プログラムによれば、ヘンツェは昔来日した時に勧められて三島の芝居を見たそうで、その印象から「午後の曳航」をオペラにしたらしい。三島のホモセクシャル的な匂いをヘンツェ自身が作品から嗅ぎ分けたようだ。

演出なのか作品そのものに付随しているのか判別できなかったが、最初の母と竜二の濡れ場の後、眠っている竜二に登が抱きつこうとするシーン、そして竜二が戯言で登を襲うシーンがある。このホモセクシャルな雰囲気はヘンツェの筆なのか宮本亜門の演出なのか,リブレットを見る限りト書きにはそのような記述はないことを確認したので,これは宮本亞門の演出だと思われる。また,登が事を終えた竜二と房子の寝室に忍び込むこと自体がリブレットには書かれていない。三島の小説通りに,登は覗いているだけである。

 竜二と房子のベッドシーンを覗く登は、小説でも興奮するがそこでオペラのように、竜二を自分に重ねて

 

Er gehört mir.
彼は僕のものだ。

 

と言う部分はない。ヘンツェが竜二に登を一体化させて母親を犯すエディプス・コンプレックスの成就はヘンツェの独自の解釈だろう。ただ,ヘンツェ的には,登の自分自身を仮託した竜二が33歳の美しい寡婦であり母である房子を愛欲で犯すことよりも,登自身が竜二と一体化しているその意識が登の興奮の源泉であるように描写している感がある。

 

Ah, in meinem Armen ... die ganze Welt, meine Augen, ich schau dem Seeman direkt ins Gesicht ... vollkommen ... die Welt ist vollkommen ...in meiner Brust ... nichts ... nicht mal in meinen Träumen, nicht einmal im tiefsten Dunkel kann ich weinen ... mir ist heiß ... ich habe dem Seeman direkt in die Augen gesehen ... er gehört mir ... die Nacht gehört mir.

ああ,僕の腕の中に,全世界を,僕の目は,僕はあの船乗りの顔を直接見てやろう。…完全だ…世界は完全になった。僕の胸の中には…何もない…僕の夢ですら,一番深い暗闇の中ですら僕は泣くことが出来ない…暑くてたまらない…僕はあの船乗りをこの目で直に見たんだ。あの人は僕のもの。この夜は僕のものなんだ。

 

女を犯すのは海を征服するのと同じで英雄になるための通過儀礼にしか過ぎない。房子をものにすることの行為は竜二にとっては大切な愛の爆発なのだが,登にはそれは結果論でしかなく,この結果を経た英雄の誕生が問題なのである。そしてそれと自分自身が一体化することによる虚構の自己実現,ここに精神的なホモセクシャリティーが見られる。

 

三島の原作ではこの部分は登の,セックスという男女の関係,絆を神聖視する表現に満ちている。13歳が初めて生で見た性行為への興奮と憧憬である。

 

…登は,息苦しさと,汗と,恍惚のために,気を失わんばかりだつた。自分は今,たしかに目の前に,一連の糸が結ぼおれて,神聖なかたちを描くところをみたと思つた。それを壊してはならない。もしかするとそれは,十三歳の少年の自分が創り出したものかもしれないから。


登と1号たちのグループも,一種のホモソーシャル世界を見て取れる。あたかもヴァーグナーパルジファル」における聖杯城の騎士たちの社会のように。すべてが男だけで構成され,その目指す所は英雄になるという超理想社会。三島のホモセクシャリティーはストイックで精神的で,肉体的な鍛錬を欠かせないが,それは肉欲的ではない。肉欲的ではない現れは本文での1号の行動でよくわかる。

彼はすでに,性的な事柄については何もおどろかない修練を積んでゐた。…どこで手に入れたのか,彼はあらゆる性的体位や奇怪な前技の写真を持つてきて,みんなに詳しく説明し,そんなことがいかに無意味なつまらないことであるかを,懇ろに教へてくれたのだ。

彼は自分たちの生殖器は,銀河系宇宙と性交するために備はつてゐるのだと主張してゐた。……彼らはかういふ神聖な譫言にうつつを抜かし,同年の,性的好奇心でいつぱいな愚かな不潔なみじめつたらしい少年たちを軽蔑してゐた。


三島のホモセクシャリティーは Ernst Röhm 率いるナチス突撃隊とは全く違うのだ。例えば三島は『我が友ヒットラー』で突撃隊の粛正にいたるヒトラーの心理と決断を描いたと思うのだが,これは肉体的な男性同士の性交に耽って,ギリシア的精神性を重んじるホモセクシャリティーを軽んじて忘れている,英雄を貶めた Ernst Röhm への処罰,三島の抱くホモセクシュアリズムを破壊する堕落した「男色文化」を殲滅し崇高な「男だけの社会」の存在を強く求める主張ではなかったか,と思う。

今はありありと見える。目かくしをした顔が急にのけぞる。弓なりに。……これでおしまひだ。これであいつらの兵隊ごつこも,口先だけの義侠義血も,旗日ごとの人もなげな行進も,ビアホールでの放歌高吟も,古くさい野武士気取も,ノスタルジヤも,感傷的な戦友愛もおしまひだ。……親衛隊の銃弾,やつらの子どもつぽひ革命の夢の,金モールで飾り立てた胸もとを,穴だらけにしてしまつたからだ。……これでどんな革命ごつこもおしまひだ。

『午後の曳航』は『わが友ヒットラー』の5年前の作品だが,三島は既に独自のホモソーシャルを展開する作品を上梓していた。彼のホモセクシャリティー的愛としてのエロス(これはプラトンの『饗宴』で展開される意味での ἔρως )と死は彼の日本という国を体現する天皇への大義のための構成要素=歯車であり,大義に報いるための自決を「美」と考える。ここに異性の入る余地はない。三島は竜二にもこれを意識させる。

男は大義へ赴き,女はあとに残される

大義に赴くからこそ,英雄が生まれる。この大義を全うするためには肉体を鍛錬し,死を恐れずに,精神は同じ志を持つ者と崇高な愛によって結ばれている。こうした三島の思想を同じホモセクシャリティーを抱くヘンツェはどう考えたか,憧れたか,それとも違和感を感じたか,オペラの筋書きからでは判断できない。ただヘンツェの私生活におけるホモセクシャリティーは三島の理想とするものとは全く違っていたようだ。ヘンツェにはパートナーがいて,そのパートナーと男女のカップルと同じように同棲生活を送っていた。三島のような精神性を最重要とするものではない。ヘンツェが登と竜二のふたりの関係で見せる恋人のような所作,これこそがおそらくヘンツェの体験している実在するホモセクシャリティーなのだろう。ただしその所作も演出家の解釈によって,単なる少年が憧れの船乗りと交わる親密なコミュニケーション程度にぼかすことも可能だ。

 

5.登は厨二病だったのか?

オペラの最後、ロープで縛られた竜二に登がナイフを振り落とそうとするシーン。
テクスト自体の最後は

竜二はなほ,夢想に涵(ひた)りながら,熱からぬ紅茶を,ぞんざいに一息に飲んだ。飲んでから,ひどく苦かったやうな気がした。誰も知るやうに,栄光の味は苦い。

と結ばれて,竜二がその後どうなったかは書かれていない。
オペラでは竜二をロープで縛るよう一号が指示して竜二は縛られながら,薬が効いているのか体中を震わせる。そこへ次なる指令が飛んで,登がナイフを一号から受け取り振り上げるが,なかなか振り下ろさず、躊躇するうちに舞台は暗くなって終わる。
三島の創作ノートには「薬」と題打って,眠り薬の服用による体の異常作用について細かく記述を試みている。

痙攣,顔色,嘔気,出血させた場合の出血状況,寒さと痛み,汗,失禁,喉の渇きなど。「独乙製のパラミン,定量1ー3錠,20分位ゐで,コロリ。きく瞬間が分かる。八錠ー十錠。」

とある。
パラミンとは正式名称をp-フェニレンジアミンという劇薬。1863年にドイツで発見された。第一種指定化学物質,用途は染料原料,ゴム添加剤,写真・印刷剤等である。酸化すると発色する薬剤で,ヘアカラーにも用いられるが,皮膚炎,アレルギーの副反応もあり,死亡例さえある劇薬。(日本では今でもこれをヘアカラーに使っている!)三島はこの劇薬を紅茶に入れようと考えたらしい。眠り薬ではない。そしてこの薬でショックを起こしている最中に皮膚を切り裂き,悪寒で痛みが麻痺している状態で竜二の心臓をナイフでとどめを刺させようと考えていたようだ。
宮本亞門はおそらくこの創作ノートを読んでいるのだろう,最後の震える竜二はまさにパラミンを飲まされて悪寒と震えにもだえる演技がなされている。なぜならヘンツェのスコアに書かれているのは以下のト書きだけであるから。

 

Die Jungen verstummen, auch die Stimme des Seemanns bricht. Sein Kopf sinkt ihm auf die Brust, als schlafe er ein. Die Jungen erstarren mit erhobenen, stich- und schlagbereiten Händen.
若者たちは黙りこむ。水夫の声も止む。彼の首は胸に沈みまるで寝てしまったかのようである。若者たちは刺し殺す,または殴り殺すために拳を高く挙げて強ばっている。

 

さて,ナイフを振り下ろさないのは優柔不断な登を最後まで表現するためか?考えてみると,このお坊ちゃんギャング集団で登は各人の父親への不満,そして自分が父親になっていく成長を断固拒否する態度に感化されつつも,心底からそれに強く共鳴できないもどかしさを持っている。それが優柔不断に繋がっている。幼くして父親を亡くした登にとって,成長期に父親と対峙できなかった幸運とでも言おうか,父親を堕落した存在として心から共鳴する体験をしていないからである。

登はみんなと同じ黴菌に犯されてゐないことのもどかしさと一緒に,自分の偶然の幸運の,繊い硝子細工の特質におののいた。どういふ恵みによつてか,彼は悪を免れて生きてきたのだつた。その自分の脆い,新月のやうな浄らかさ。自分の無垢が世界へ張りわたした,あの航空網のやうな複雑な全体的な触手。

この浄らかさを捨てて,ナイフを振り下ろさない限り,登は英雄になれない。つまり1号のような,大人になることを拒絶する永遠の厨二病の13歳になれない。

舞台では子ども大人たちの竜二殺しが展開されている傍で,怖しい殺人に驚く母親の姿がある。これは首肯出来ない。私なら、幸せに満ちて家で二人の帰りを待つ何も知らない母親を描こうと思うのだが。房子と竜二はこのとき幸福の絶頂にいる。この二人の幸福を徹底的に破壊し,そのカタストローフを正義の勝利だと弁解するのが enfants terribles たる内省のない厨二病の少年たちではないか。それに気づかない母親の房子こそ,女としての人生を再び花開かせようとしてそれを息子に手折らされてしまう悲劇の母親。母は女になってはいけないのだ,という彼らの願いが貫徹される表現のほうが,メロドラマとして完成されているように思うのだが…。

そして登は英雄の世界に足を踏み入れたいがなかなかそれを躊躇っている,三島由紀夫の現実の姿であり,1号の,理想世界に存分に浸り切るも,あらゆるものを達観して虚無主義を貫く姿は理想の思想にたたずむ虚構の小説家三島由紀夫そのものであるといえよう。『午後の曳航』で三島が築きたかったのは,登という現実の自分を主人公にしながらも,竜二との体験を通して最後には1号の境地,つまり理想の英雄になることを決意するための自己啓発装置ではなかったのか。三島の小説について,虚構性,人工性を取り上げる評論家が多いが,実は平岡公威はペンネーム三島由紀夫自身を虚構に生きる作家として位置づけていたのではあるまいか。彼の映画ではなく,本当の自決へと移行する実行力を培うためには,『午後の曳航』から『豊饒の海』までの文学的決断行為が必要だったのであろう。
竜二にナイフを振り下ろせない登は自決できない平岡公威,つまり厨二病に憧れつつも現実世界に阻まれて虚構に埋没できない人間である。オペラの最後はこの状態で終わる。
振り下ろして終われば登は三島由紀夫になる。
振り下ろすことが出来ずに終われば登の将来は約束され,平凡な父親となって鼠の一生を送ることになる。
どちらを想像したいかは観客自身の好みだという演出かも知れない。

ちなみに三島由紀夫はナイフを振り下ろして——正確には日本刀を腹に刺して——森田必勝に首を斬ってもらって(これが全然うまくいかず,三島は大変な苦痛を受けたはずである。)英雄となった。英雄となったからこそ,11月25日は憂国忌が毎年開かれ,彼になりたいがなれない大人になった登たちが集まって偲んでいるのだ。——もし私がこのオペラの演出家だったら,こうした憂国忌の光景を是非舞台装置に取り入れてみたい。1号たちが集まる場所を憂国忌の会場と設定したり,竜二を殺害する場所をそこにしたりすることで,三島の思想をあなたはどう咀嚼するかと観衆に問うてみたいものである。残念ながら,今までのオペラ『午後の曳航』の演出はト書きを忠実に再現しようとするものが多く,バイロイトヴァーグナー演出のようなものがまだないようだ。

 

6.おわりに
なぜこのオペラが,2006年改訂版初演の後,ウィーンで2020年に取り上げられたのか?ヘンツェは確かに現代音楽家としては大家だと思うが,それでもこの "Gogo no Eikou" はヘンツェの個人的な Geschmack (好み)が大きいオペラのように感じる。しかし各劇場でこれを取り上げる以上は何かのメッセージ性を感じるからではないかと思うのだ。

そう考えてみると,今の欧州では若者の排他主義や極右化が問題になっている。些細なことで外国人排斥暴力行為に繋がったり,極右勢力が台頭したりと,欧州は政治的にもきな臭いものを最近感じる。これを,閉塞した社会の中で若者が自分たちの居場所(=ここでは排他主義や極右団体)を保つために集団で犯罪を犯すことへの問題視,警鐘と考えれば遠からず近からずで理解しやすいのかも知れない。

1号たちそして登が抱いてる考えは,三島的にいえば,暗い衝動である。そしてこの衝動は自己暗示を掛けることで生き続ける。『金閣寺』でもこの衝動を三島は書いた。

私を焼き亡ぼす火は金閣をも焼き亡ぼすだらうといふ考へは,私をほとんど酔わせたのである。同じ禍ひ,同じ不吉な火の運命の下で,金閣と私の住む世界は同一の次元に属することになつた。

美ということだけを思ひつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである。


暗い衝動を抜け出して「清濁併せのむ」大人へと変化していく——これを社会は「発達」と称している——こと,この美しく,目覚めたくない,理想的な,心優しい暗い衝動から目覚められなかったのはこの小説の子どもたちだけではない。作者の三島由紀夫こと平岡公威もそうであった。丸山明宏に嘲笑されて肉体改造に走りつつもその肉体がナルシスの要素となり,戦争および戦後の社会という体験から得た暗い衝動が彼に国家自衛組織「縦の会」をつくらせ,武士道の本分は「自決」にあるという魂が制御する肉体を犠牲にした思想を崇高であるという評価にまで高めた。この三島の生き方がこの小説の根底にあることは西洋人でも理解できないことはないようには思うが,それをオペラで,三島のモットーでもある「美的に」演出することは大変難しいし,原作やリブレットを再読・三読するほど惚れ込んでいる訳ではない観客が受容できるかという問題がある。
このオペラ作品の上演を成功させるためには,海=女,船乗り=英雄,猫殺し=理想の世界を肯定するための行為など,少なくとも三島のちりばめたシンボルと彼の思想を体現する行為が,現代社会にどう訴えかける要素として認識できるものなのかを明らかにする必要があるだろう。筋書きを尊重し過ぎて,単なる思春期の少年が抱く悲壮な葛藤に終始する個人劇と捉えては三島の世界を矮小化して演出してしまうのではないだろうか。

 

Mode の記号化について


 Semiotics的観点からは凡ゆる事物が実は実体のないよう以外に記号化された意味を持っている可能性がある事を示唆できる。


 これは永続的、限定的問わず言える。

そこで気がついたのだが男性の Mode (ファッションにおける流行)である。


 昔、アカデミック・ライティングの授業でピエール・カルダンについての論文を取り上げた事がある。(北方晴子「20世紀メンズファッションとピエール・カルダンの功績」https://bunka.repo.nii.ac.jp/records/484)

 

 そこで書かれていた事で興味深かったのが、カルダンは今まで類似した外形しか持たなかったメンズファッション=クラシックスーツの世界に婦人服同様の「デザイン」を持ち込んでメンズファッションにおける既成概念を打ち破り、画期的・革新的な貢献をした人物である事、しかしながらこの出来事は1960年代のみで終焉する事。カルダンは70年代以降はメゾン経営に傾注し、ライセンス経営でカルダン帝国を築いていくと同時に革新的なファッションからは遠のいていく事。ーーここで北方晴子が指摘したのは以下の通りだった。

 

そして,カルダンのメンズファッションのデザイン改革の試みが,1960年代だけで消えてしまったのは,男性の反響が実際のところ,一般化せず「宇宙時代」と呼ばれていた1960年代,男性層に意義ある装いを見出そうという試みよりも,デザイナーたちが創作しただけのものに留まった。しかし一方では,若者に大きくアピール出来たのが衿無しジャケットである。 それもその時代のファッションを代表するというより,ビートルズの人気に負うところが大きいともいえる。そこには,1960年代の若者の 影響力がメンズファッションの概念をも変えたと言える。(北方晴子(2009) p.39)

 

 現代はアパレル業界とマスメディアのWIN-WIN関係の結実か、ファッション業界からのプロパガンダは広く受け入れられている。「今年流行の色は…」とアパレル業界が定め「装苑」誌に発表されれば全国のファッションリーディングを自負する人々、ショップ、メディアは様々な服、アクセサリー、アイテムを紹介する。店舗やネットショップに埋め尽くされたそれらを存分に「楽しむ⁉︎」消費者。という図式が出来ていると思う。


 ところが北方論文によれば60年代のメンズファッションはそうはいかなかった、という事になる。何故か?私はそこに男性が服を着ることについて個性の発揮以上に code (記号化)が読み取られているからではないか、と思う。


 例えば男性が職場に向かう時、職場で制服に着替えなくてはならない場所の多くは、工場、作業場、飲食店、その他警察や消防、自衛隊などの制服が定められている職場だと思われる。所謂営業マンとか、銀行員とか、役所の事務員とか、こう言った男性社員が多く在籍している職場で、女性社員に制服を貸与していても男性社員に服装を細かく指定して私服で出勤させる方が多いのではないか。

 では自由なのか、仮に60年代のカルダンの宇宙ファッションで勤務したらどうなるか?恐らくNGになるだろう。自由だけど、その格好で接客はやるな、と上司に嗜められるかもしれない。何が言いたいかと言えば、メンズファッションには社会的 code が付与されている、という現実だ。


 1990年代から2000年代にかけて、大学生が就活を始めるとお決まりのように濃紺のスーツに濃紺のネクタイ、ワイシャツは白で無地(ストライプは避ける)が定番だった。当時は就職活動に協定があったのでーー春になると電車にこういう格好の若者が増えて、(もうそういうシーズンか。)と思ったものである。この様子は秋前迄続き、キャンパス内で秋以降にこの格好は見かけなくなる。実際には就職が決まっていない学生も、キャンパス内ではリクルートスーツは着ずにどこかで着替えて就活を継続していた。クラスメイトに内定をもらっていない事を悟られたくないのか、自分が惨めになるのか…。濃紺のスーツがもたらす code は大学生の自尊心に大きな影響を与えていた。当然だが、ここで濃紺のスーツではなく茶色や黒のスーツだったらどうなったのか?スーツではなくジャケットだったらどうなのか?受験する側が確証のない冒険をする事はあり得ない。

 濃紺のスーツは今でもあるのだろうか?最近見るのはブラックスーツだ。ただ記事や仕立てを間違えると礼服に見えて、喪服かと思われるからネクタイやワイシャツには気を配っているようだ。このブラックスーツはリクルーターのみならず、今や男性従業員の定番。完全にブラックスーツ=サラリーマンというcode が出来上がっている。上位の者は白いワイシャツにストライプが入るが、下位の者は上司を越えるような僭越な服装は後々自分の昇進に関わるから、なるべく無難なファッションを選択する。

 社員バッジが必須の会社は上着のフラワーホールにバッジをつけているが、そういう規程のない社員で、「自分は社会参加に先進的だ」と表明している者はSDGsバッジをそこにつけている。これもある種のcode である。


 ファッションというのは流行が起きる現象だが、その流行は時代を代表する code にもなる。カジュアルでもベルボトムジーンズは1970年代に大流行した。小学生高学年から中学生だった自分にとって、少年期から青年期へと自我が目覚める時のファッションがコレだった。というか、親に衣料品店で服を買ってもらうにもカジュアルルックは100%ジーンズ(当時ブルージーンズ以外の色はあり得ない)、そして棚にあるジーンズはほぼベルボトムな訳で、流行というが選択肢のない流行の強制に近かった。しかし当時はその一択が「カッコいい」と思われていた洗脳下にあったから、誰もそれを疑う事はなかった。


 私服以外では男子中学生は大抵制服だった。詰襟かブレザー。詰襟は金ボタンをつける陸軍式の制服か、黒ではなく濃紺で前をホックで留める海軍式のどちらか。ただしこの服装は海軍でも士官の格好。19世紀の欧州では男子制服でも海軍兵卒の着用するセーラー服があったが、日本では女子学生の制服という code が付加されたので、実際にセーラー服を社会的地位の表明として着ている男性は海上自衛隊教育隊の生徒以外はいない。まぁコレも code ですね。男の子がセーラー服着てたら(勿論下はズボンであっても)違和感を覚える周囲は必須でしょうし、大体そういう洋服自体を見つけるのに苦労するのではないか。


 話を元に戻すが、接客や営業など人と接する職業で、制服が支給されていない職場で男性が個性を魅せるファッションを追求するのは至難の業なのだ。  

 まず接客という立場上、顧客からクレームがついたり顧客を不安にさせる服装は避けなければならない。

 次に上下関係。上司よりも質の高いものを身につける事はリスキーだ。メガネ、時計、筆記具、ハンカチーフなど日本はブランド品が容易に手に入る国。宣伝もどこかしこで見られる。セレブでなくても若者がそういう物に憧れるのは当然だろう。だからと言って、Tudor の時計をしている上司に対してプレゼンする部下の若僧が(それが例え親から貰った物だとしても)左腕にRolex をしていたらマズイのは察しがつくであろう。同じように革靴もリーガルやスコッチグレイン止まりならまだ良いが、ここで新入社員が Alden を履いていたら…。年相応の装いと言うよりも、序列を意識した装いを余儀なくされる。

 ホテルマンはエントランスに来る客の足下を眺めて品定めすると言われる。これはどんな靴を履いているかでチップの弾み方、金離れの良さが分かるという意味。銀行員も同じ事をする。融資が焦げ付かないかは相手の生活レベルでわかるという考えから。これに対応するのも男性ファッションの場合はcode だ。

 劇場やコンサートホールに集うにはドレスコードが必要か?例えばベルリン・フィルハーモニーホールのホームページを覗くと、そこにはドレスコードはありません、と明記してある。確かにコンサート風景を見ると、金管セクションの後ろの一番安い席にはジーンズ姿の軽装の人々が多く見られる。ところが高いチケットの席にはそういう服装の人は稀でタキシードまではいかなくてもそれ相応の出立ちだ。これも文化的な code だ。

 NYブロードウェイでミュージカルが初演される時、観客はタキシードとドレスが不文律。これもcode 。


 こうやってまとめてみると、男性の私服以外の装いに関して、 prêt-à-porter (プレタポルテ<ready to wear : 既成服)の場合はスーツとタキシード以外に選択肢がない事がわかる。

好意・恋愛・性欲の関係と社会契約について

 好意と恋愛感情と性愛の欲望は同一のものだろうか。

 まず何故か理由は分からぬが好意が首を擡げる。そして好意が募ることで恋愛感情が芽生える。しかし恋愛は片想いでは成就しない。そして片想いの段階では肉欲の欲望はむらむらとは沸いて来ない。

 性愛を意識するのは片想いではなく互いに想っていると予測・確信してからではないだろうか。相手に容易に触れることができるようになると、抱き合い、唇を重ね、身体をピッタリと密着させたいという欲望が当然のように現れる。この状況下で性愛(セックス)の欲求が理性を侵してくるのである。

 肉体を合わせるセックスの悦びは、快楽を、愛する人と共に求めることのできる、この上ない至福のコミュニケーションなのである。互いの恋愛感情が肉体の快楽を先導するのであって、その逆はない。

 快楽を求めて愛人をもつことは、恋愛ではなくて単なる性的満足を充たすための補完行為、つまり独りでしないオナニーでしかない。人間は動物としての衝動から、言語を用いた思考、つまり理性という精神性をその衝動よりも尊い、優先する意識を持つに至った。故にオナニー(自慰)というものは肉体的衝動が理性を掻い潜って阻止できない状態になって行うものだと理解してきた。これを制御できずにやりたい放題に行う事は精神の破壊につながるとして、嘗ては男尊女卑のもと管理売春のシステムを作ってきた。男子にとって射精は毎日起こる生理現象に他ならず、この事に例えば谷川徹三は悩み、哲学の道に救いを求めた。女性の場合、男尊女卑が長く続いてこの様なシステムは存在せず、女性の性欲は蔑ろに、まるでないかの様に虐げられてきた。女性解放の理由の中にはこの様な理不尽な扱いへの反抗もあった筈である。

 一方で生物学的な人間の性である子孫の繁栄は、婚姻という社会的契約として明文化された。この子孫繁栄のための、(動物としての本来的な)生殖行為に選ばれるつがいは、夫婦という名称の下に、財産権を伴うが、この夫婦関係に愛情が必要だという法的規定はない。あるのは双方の契約の同意である。勿論夫婦が子孫を残さねばならないという事は明文化されていないが、財産が当然子孫に継承される法律がある以上、子孫の誕生は不文律のものとみなされる。何故ならば、配偶者以外に直系の子がいなければ、財産権は兄弟かその子までは移譲されるが、これは生物学的に血族を示している。血族でなく遺産相続できるのは配偶者だけである。つまり、愛情と遺産相続はほぼ関係ない、ということである。生殖行為が恋愛や愛情に勝るとすれば、それはこの点である。つまり、愛などなくても、侵し、侵され、子供ができて認知されれば財産が転がってくる。これが社会契約上の男女関係に他ならない。

 この様な実情から見ても、好意や恋愛が如何に個人的で公的には全く尊ばれていないかという悲しみがある。人を好きになる事は社会制度の埒外に置かれ法律は無関心なのである。人間は大昔からこの愛をテーマに様々な芸術文化を創り上げてきたにも拘らず、愛の尊さは娯楽の中でしか語られなかったのだ。

 困ったことに、「愛情」は突然人の心に出現して、片想いに悩まされ、両想いになれば幸福と至福に感涙し、別れと共に苦しみが訪れる。心穏やかなることのないこの感情は法的には無意味な、人間生活に害を及ぼす以外何もない忌むべきものなのか?

 愛情なき婚姻の後に偶然降って湧いてくる恋愛感情、これは文学や舞台芸術でよくあるテーマだ。「恋愛は障害が大きいほど燃えるもの」とはよく言ったもので、「ロミオとジュリエット」も「トリスタンとイゾルデ」も周囲の関係との障害が恋愛を難しくする事で二人の愛情は昂って行く。かつてある俳優が「不倫は文化だ」と言い放ったが、まさにこの障壁だらけで燃え上がる感情を担う範疇は法律ではなく、文学や芸術の文化領域しかないのだ。何とも名状し難い存在、それが愛情だ。人は愛情を抱くとそれが冷めるまで、どんなことでも試みようとする大胆さを発揮する。そこまでしてもやめられない、他者を得たいと渇望するエネルギー、何とも不思議な力ではないか。