口語と文芸についてつれづれに…

1.「ら辺」と「形容詞語幹+み」について

 以下の例文を読んで違和感を感じますか?

 

付き合って初めて(彼女が)家に来たときに、僕の部屋が、お金なかったんでめっちゃ狭かったんですよ。座るとことかないんで、ベッドに座るじゃないですか。(彼女が)枕らへんに座ったんですよ

スポニチ2023年6月12日の記事より)

 

発売中のテレビブロスで「イヌの日」レビュー。定期購読してる雑誌に載る嬉しみ…

(松居大悟氏のTwitter 2016年8月24日より)

 

わかりみもつよい

Twitterで多数見る表現より)

 

 日本語にはDuden文法の様な「こうあらねばなりません」を明示する支配的文法書は存在しないから、「枕らへんに座った」とか「雑誌に載る嬉しみ…」と日常的に言われていることに対して誰も苦言は言えません。学校でもこうした日常語独特の新興表現に対して何も指導するマテリアルを作っていないのが現状です。

 一方で思いついたかのように「日本語の乱れ」を嘆く方々が一定数いらっしゃいます。ですが,ことばは移り変わるものです。例えば「ら抜き言葉」がふた昔前くらいまでは学校では先生に直されていたのに、今では先生もら抜き言葉への意識が薄らいだ世代になり、「今晩は流星群が見れるぞ。」と無意識に言えてしまう。だから「見れる」じゃなくて「見られる」だ、とはわからなくなっているわけです。

 ではなぜ「見れる」ではいけないと大昔の人は違和感を感じたのでしょうか?それは動詞の活用にあります。「みる」「きる」「しる」「にる」など上一段活用の動詞や「たべる」「える」「ねる」「ける」などの下一段活用の動詞は、日本語で多く存在する五段活用とは違って語幹の母音が変化しません。

 つまり五段活用の動詞「のむ」ならば語幹の部分は「の」で次のマ行の部分が活用します

  のむ-のま(ない)-のも(う)-のみ(ます)-のめ(ば)

この活用の未然形に尊敬・受け身の助動詞「れる」を足します。=(子音+a+「れる」)

 

  このジュースはどこでも「飲ま」れている。

 

 となりますね。一方「可能」を表す表現は連用形+「る」をつけることで作ります。=(子音+e+「る」)

 

  このジュース3年前のだけど「飲め」るかな?

 

 五段活用では「れる」と「る」に着く活用形は違いますから be drunk なのか can drink なのかは一目瞭然です。しかし上一段・下一段活用では語幹の母音はそれぞれ [i] と [ɛ] に固定されていますから,

 

  み[mi](ない)-(ます)-みよ(う)-みれ(ば)

  たべ[tabɛ](ない)-(ます)-(よう)-たべれ(ば)

 

 受け身は語幹にa音がないので助動詞にa 音が含まれた「られる」をつけます

 

  隣の住人に風呂上がりの姿を「見られ」て恥ずかしい思いだった。

  映画ではアザラシが白熊に「食べられ」る残酷なシーンがある。

 

 同時に「可能」表す表現も「られる」で表します。

 

  その映画ならこの映画館で「見られ」ますよ。

  流石に一週間前のカレーは「食べられ」ないでしょう。

 

 でもこれでは五段活用の様に二つの表現には区別がつきません。文脈で判断するしかない。そこで日常表現では「可能」の「られる」の代わりに「ら」を抜いた「れる」を当てて区別するアイデアが生まれたわけですが、昔の人にとってはそういう言い方は違和感しか感じられないから「間違っているよ。」と正されたものでした。

 

【「ら抜きことば」の照査】

 ①受け身の意味では使えない( * のついた例文は言語学のルールで非文の意味です。)

  *隣の住人に風呂上がりの姿を「見れ」て恥ずかしい思いだった。

  *映画ではアザラシが白熊に「食べれ」る残酷なシーンがある。

 ②可能では理解できる表現として,受け身と区別するために日常的に使われる

  その映画ならこの映画館で「見れ」ますよ。

  流石に一週間前のカレーは「食べれ」ないでしょう。

 

 こうした文法的な区別を新しいアイデアで作り出すのが若者の得意技なのですね。ですから恐らく冒頭の二つの表現「〜らへん」「〜み」でも何か意味があると思われるのです。

 

 もともと「らへん」という表現は私などが小さい時には単なる日常語だとしか思われていませんでした。使い方も大変限定的で「ここらへん」「そこらへん」「どこらへん」はよく使ったものですが「あそこらへん」には違和感があって,「あそこのほう」とか「あっちのほう」と言っていた記憶があります。それ以外には自分の語彙には「らへん」はありませんでしたし、作文や正式な言い方にするのならば「このあたり」「この近辺」という語彙を使っていたと思います。

 「形容詞+み」ですがこれは江戸時代までは俳諧の世界で「新しみ」とか「可笑しみ」とか実は表現されていたものでした。国立国語研究所をはじめとして多くの国語・日本語学者がこの表現に注目して、目下サンプル収集中、あるいは論文執筆が盛んです。現代の「+み」は形容詞のみならず「パパみ?なGangster」のように名詞にも「み」をつける表現が見られます。こういう文法を逸脱してまで表現したいニュアンスとは何なのか、日本語学者は興味津々です。

 

 それはそれとして、現代若者言葉の「形容詞+み」は今までよく使われていた表現、「嬉しさ」とか「わかりやすさ」と言わずに「嬉しみ」や「わかりみ」と敢えて使うのには何らかの意図があるはずです。勿論、SNSやネットの掲示板では「スマソ」や「厨二病」のようにわざと別表現する文化がある事は十分承知ですが、それが伝播し使われていくには、新しい語彙として使いたい気持ちがあるからに違いないのです。「みんなが使っているから」でも「オシャレに思うから」でも立派な理由だと思います。ただ、そうした使われ方が爆発的になれば、一体その「嬉しみ」や「わかりみ」という言葉は既存の「嬉しさ」「わかりやすさ」とはどう違うニュアンスなのか統一された意味合いをハッキリさせないと、相手には伝わらなくなってしまいます。それが成立するとこの「若者言葉」と色眼鏡で見られていたものが正式な日本語の語彙として感じられるようにランクアップするのです。その代表選手が先ほどの「ら抜き言葉」です。

 

「嬉しさ」と「嬉しみ」はお使いになっている皆さんにはどんな違いがあると感じていらっしゃるでしょうか、説明できますか。

 

 中には文法的にはおかしいのですが、既に市民権を得つつある「違くない」があります。「違くない」は日本語文法的には完全に間違った活用です。

動詞「違う」をあたかも形容詞「白い」のように形容詞語尾活用「く」をつけて表現しています。

 

  白い→白く-ない

  違う→違く-ない(本来は「違わ-ない)

 

  そんなの大して違わないよ。

 

 これは動詞「違う」と名詞「違い」が混同されて、さらに名詞「ちがい」を形容詞のように使用者が感じて「ク活用」させてしまったのでしょうね。

 

ところが今の例文「そんなの大して違わないよ。」の意味がよくわからない人がいるかも知れません。もうご自分や周囲ではそんな言い方をしなくなって、

 

  そんなの大して違くない?

 

だと意味がよく分かるという方。ティーンエージャーにはいるかも知れません。世代交代というか、日本語として使う語彙の幅が違ってきている証拠でもあります。こうなると「そんなの大して違わないよ。」はそういう方にとっては、国語の授業で鷗外や漱石を読むのと同じレベルでなんだか分かったような分からないような日本語だなぁ、と感じている事でしょう。日常語だったものが文語になって行く過程を示す例だと言えましょう。

 

 でも沢山の人々によって利用・表現され、その使い方がハッキリしていけば、例え文法的には誤運用であっても「そんなの大して違くない?」は正しい言葉へと変遷していく可能性が十分あります。そうなるとその表現を固定化しなくては日本語文法が崩れてしまいます。ここで国語学者が知恵を絞るわけです。これはこれで大変な作業ですね。

 ところが学校の国語文法にはこういう事例は恐らく反映されないでしょう。なぜなら,教科書に書かれている文法は東京帝国大学橋本進吉が体系づけた文法に基づいており,それが変わることなく現在も採用されているからなのです。橋本進吉が考えた文法で最も有名なのが形容動詞の命名と文節の概念です。「今日は恋人と映画館に行きます。」は西洋のLinguistics ならまず主語と述語に分けますが,橋本は文節という考えを披露して,「今日は」「恋人と」「映画館に」「行きます」の4つに分けられるとしました。よく学習塾で「ね」をつけて考えれば文節に区切れるよ。と先生に習いませんでしたか?

 

 話が脱線してしまいましたが,ひとつだけ申し上げておかねばなりません。「言葉が乱れている」という言い方を言語学者はしません。言語学者は「言葉は変遷する」ことを研究で十分理解しています。その変遷を取り上げて論文を書いている位ですから。だから「美しい日本語を書きましょう」というようなことは学者の提案ではありません。こういうことをいうのは政治家や言語政策に関わっている人々のことばです。「言葉が乱れている」なんていうなら,現代人にたいして明治の人が,その明治の人に対して室町時代の人が,室町時代の人に対して平安時代の人が,平安時代の人に対して奈良時代の人が,「美しい日本語で書けないのか?」と怒らなくてはなりません。「乱れている」=「自分の知っていることばとは違うもの」程度の意味合いだと考えるべきです。

 

2.言文一致と物書きの視点

 さて、明治時代に勃興した言文一致運動によって、今まで文語として使われていた表現から、日常話している表現を使って小説や詩、論文や新聞記事、公文書を書くように日本語は変わりました。ただ第二次世界大戦が終わるまでの日本の国語教育では、手紙を書くときは候文、原稿は文語文と日常生活で話す日本語ではない日本語の練習はしていました。

 

  一筆したため候。(手紙文)

  一通ノ手紙ヲ書カントス。(文語文)

  手紙を一通書きませう。(日常語)

 

ですから戦前の教育を受けた方には、例えば今でも高校の教材になっている鷗外の『舞姫』冒頭、

 

  石炭をばはや積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静かにて、熾熱灯の光の晴れがましきもいたづらなり。

 

は理解するのが難しい日本語ではありません。同時代の漱石に比べて、鷗外の散文は文語体が多く、現代人にとってはこの人の文章のどこが素晴らしいのかを味わう前に、この日本語は一体何を言っているのか、とまるで古文や漢文を解釈する様なワンクッションがあっての鑑賞になっていませんか?

 その鷗外は当時流行した沢山の欧米、特にドイツ語で書かれた文学作品を日本語に翻訳した西洋文学の紹介者でもありました。この時の訳文は文語的なものと口語的なものがあります。例えば鷗外はアンデルセンの『即興詩人』を格調高い文語文で翻訳しました。

 

  羅馬に往きしことある人はピアツツア・バルベリイニを知りたるべし。こは貝殻持てるトリイトンの神の像に造り做したる,美しき噴井ある,大いなる広こうぢの名なり。

 

 反対に現代作家の翻訳や芝居の台本でもある戯曲は口語で訳しています。

 

  黄昏時がもう近くなった。マリイはろは台に腰を掛けてから彼此半時ばかりになる。                   (シュニッツレル『みれん』より)

 

  好うがす。只少しの間です。此賭に負ける心配はない積りだ。わたしの思ひ通りになつたら,どうま声で勝鬨を揚げさせてください。(ゲーテファウスト』より)

 

 また,鷗外や漱石の世代は漢文にも明るいので,なんと漢文で作文が自由に出来ました。鷗外は授業ノートを漢文で取っていたというエピソードがあるくらいです。

 

  明治二十一年三月十日。遭福島于石黒軍医監伯林客舎。見示徳国外務大臣与本邦全権公使西園寺公望之書,…。          (森林太郎『隊務日記』より)

 

 1つの言語で,TPOによって文体が異なる言語は大変珍しいと思います。例えば16世紀のシェイクスピアや18世紀のゲーテの文章は確かに古い英語,ドイツ語ですが,現代のイギリス人やドイツ人が読めない英語・ドイツ語ではありません。彼らにとってもはや読めない言葉は中英語のチョーサーの『カンタベリー物語』(14世紀)とか中世高地ドイツ語の『ニーベルンゲンの歌』(13世紀)のようなテキストで,しかもシェイクスピアゲーテは別に文学だからといって日常語とは異なることばで書いたのではありません。それに対して日本語には漢文,文語文(雅文体),口語文と全く書き方の違う言葉が用意されていたのです。これは日本建国以来文章を書くときに区別されてきた真名・仮名の概念の延長線上にあると言えましょう。

 

 こうした様々な文体が書ける鷗外でしたが,彼の溺愛した子どもたち,次男於菟,長女茉莉,次女杏奴,三男類は父親と同じように文章を残していますが,全員口語体で書いています。

 

  親友の青山胤通博士が一時父のためを思って己れの親近している大隈伯に近づけようとした事があったが、どうも大風呂敷の伯と細心の父とは気が合わなかったらしい。

                     (森於菟『父親としての森鷗外』より)

 

  本を買うと洋菓子店に寄って珈琲をのみ,煙草をふかし,買った本を一寸開いてみる。その人が家に帰ると,家には本を読む青年がい,本を読む子どもがいた。

                     (森茉莉『記憶の繪』より)

 

  父は何時も静かであった。葉巻をふかしながら本を読んでばかりいる。子どもの時,私はときどき元気な若い父を望んだ。自分の細かいどんな感情をも無言の中に理解してくれている父を無条件で好きではあったが,父はいつでも静かだったし,一緒に泳ぐとか走るとかいう事は全然なかった。何でも父と一緒にやりたかった私には,それがひどくつまらない気がした。          (小堀杏奴『晩年の父』より)

 

  茉莉のところへ料理の先生が来るようになったのは,そのころであった。(中略)披露宴は築地の精養軒であった。官吏で,軍人で,芸術家である父の全盛と,実業家としての山田家の全盛が合して,金の力ではおよばない絢爛が宴をおおっていた。                              
                     (森類『鷗外の子どもたち』より)

 

 

 現在でいう東大医学部を卒業し,軍医となり最高位の軍医総監にまで出世し,さらに文学者として流石に多彩な文章が書ける超エリートの鷗外でしたが,彼の溺愛した子どもたちにはそのDNAを完全に披露する機会がなかったのかも知れません。かの鷗外の子どもたちが記すものでも,雅文体や文語文の散文ではもはや読者を獲得するのは難しいのでしょう。

 

 こうして物書きのほとんどは文語文ではなく,口語体で本を書くようになりましたが,ではその口語とはどの程度を想定しているのでしょうか。誰を読者にするかにも関わってきますが,一番は自分がどのような書き方で楽に表現出来るかなのではないかと思います。ただそうなると冒頭の「枕らへん」「うれしみ」のような自分が喋っている感覚で書けば一番楽なんだろうと推察出来ますが,その一方で昔から言われてきた「格調」だの「表現」だの「作文ではなくて文章」だの工夫を凝らしてなんぼでしょう?という問いかけもあります。

 ものを書くジャンルによっても違いはあるでしょう。例えば学術論文を書くときに比喩表現や類語辞典の端っこに書かれているような誰も使わない単語で書いたら,それはよい論文にはなりません。論文は誰でもが同じ内容を得られる平易な文章でなければならないからです。それに対してエッセイや随筆はもっと技巧を凝らした文章にすることで楽しめるものですね,ただし論旨がつかめなくなるように長い文は避けたくなるでしょう。逆に散文でも小説は人によっては動詞の連用形を連発させるような,欧文ならば関係文と分詞句が幾重にも重なっているような,言葉そのものに耽美性を感じる文学的技巧を凝らす必要があるでしょう。ところがこのような様々なジャンルの文章を書くのでも,現代ではみな口語文なのです。私たちは様々な文章を書くときにどの程度の口語を使って書くのかを意識して書くべきなのでしょう。(勿論,今の現代でも文語で文章を書いている方が皆無なわけではありません。私が大学1年生で文学を教わった福田正次郎先生は詩人那珂太郎その人でしたが,那珂太郎は限りなく文語に近い文体で旧仮名遣いで詩を書きました。https://harutoshura.livedoor.blog/archives/85448086.html

 

 これも二昔以上前のことですが,文章を書くときに「広辞苑に載っていない言葉で書いてはいけない」と言われました。当時は正しい言葉は『広辞苑』に載っているものだというコンセンサスがあったらです。『広辞苑』の編集方針はOEDやグリム,ロベールといった欧米の大辞典に匹敵する大規模な日本語辞典の編纂だったからです。だから作文を書いたときに口語過ぎる表現をすると,「それは『広辞苑』に載っているのか?」とたしなめられたものでした。ところが,この指導も今は通用しません。『広辞苑』は1998年の第5版から,約1万語の現代語を積極的に採用をしたので,たとえば今まで収録していなかった「ださい」が載りました。『広辞苑』に「ださい」が載っているからといって,どんな文章にも「ださい」を使ってしかるべきかは問題ではないでしょうか。西洋の辞書にはその単語が一般的な単語なのか,ジャルゴン(特定の集団で使われる隠語)なのか,若者ことばや俗語なのかが区別されて書かれていることが多いです。たとえばドイツ語で「少年」は Junge で,その複数形は Jungen なのですが,若者はJungenの代わりに Jungs と言います。そういう情報は辞書に書かれています。しかし国語辞典の場合なかなかそういう区別を書いてくれているものがありません。つまりどんな語彙を使って文を書くのかが,書き手の感覚に100%任されてしまっている,書き手が調べたくても調べにくい環境にあると思います。

 

 これは辞書の作り方が昔のように,「こうあるべき」から「みんなはこんな言葉を話しています」に変わったからです。記述言語学といって,今のことばの姿を記録に残すことが現代言語学,辞書学では流行なのです。特に日本語のような,言語政策がほとんどない言葉においてはもう,言いたい放題を収録するしかないのです。——そんな編集の姿は映画『舟を編む』(石井裕也監督2013年)に描かれています。——

 ゆえに,何が日本語として模範なのかなんて辞書も,文法書も参考にはならないのが今なのです。あなたのボキャブラリー,あなたの語感があなたの文章の主人なのですね。豊かな表現を身につけて自由にそれを使えるようになりたいとしたら,それはあなた自身が様々な文章に触れてみるしかないのかも知れません。