雑纂(Aphorismen Nr.1)

 

最近Youtubeの広告に,「人助けビジネス」とか,発達障害的な特徴を挙げ連ねて,「そういう人こそができる,人に寄り添うビジネス」,「お金だけじゃない,人を幸せにする満足感の持てるビジネス」,「経験の豊かな人生を送ったあなたであれば出来るビジネス」などの謳い文句で宣伝されているセミナー商法がある。世も末だ。ここまで人を欺して儲けようとする輩が出てきたか,と思う。金持ちを食い物にするのは百歩譲っても,精神疾患発達障害年金生活者をターゲットにする商法には腹が立つ。欺される方が悪い,というのは欺す側の論理だが,今こそあの三木大運怪談に出てくる「新潟のおばあさん」——オレオレ詐欺に引っかかり,息子と勘違いし金策に困り強盗・殺人でお金を工面し,送金して自殺。一方まんまと欺した若者たちに次々と怪異が現れる——のような因果応報が現れてほしいものである。

 

 

 一般社会がグローバル化し、Diversität が生活全般に浸透していく事で、所謂偏見の矯正が行われている。21世紀の、今までにはなかった Zeitgeist (時代思潮)のVorstellung (表象化)といえよう。

 但し、偏見を壊滅させることは、行き過ぎると文化の破壊に踏み込むことも、現代人としてavant-gardeに歩む者はハッキリと認識しておかなくてはならない。何故ならあらゆる既成概念と言うものはそれぞれの文化の上に成立した考えだからである。  

 そして自分達が破壊の上に築き上げた新しい価値観も、時を経れば既成概念となり、新興勢力に偏見だと打ち砕かれる運命にあるのは自明の理だと受け入れなければならない。

 

 

 人類始まって以来、21世紀の今に至るまで、戦争は人と人との戦いである。兵器が発達し、人が銃を持って大量に撃ち合うような闘いが、戦車や爆撃機、大陸間弾道弾のような大量破壊兵器に取って代わっても、犠牲者、負傷兵、戦没者を出す事で戦争に決着がついて行くことに変わりはない。

 もしこれが兵隊自体がアンドロイドになり、人間が戦わなくなったら、戦争の勝敗は何でも決まるのだろうか?人が前線に立って負傷するから衛生部隊や従軍看護士が必要となるが、兵士が人間でなければ、機械ならば人道的な支援、治療は不要になるからそのような部隊、看護士も招集されない。

 兵士が人間だから時には逃走したり、寝返ったりするが、機械ならばそんなことは出来ないし、仮に出来ても軍法会議にかけるような措置をせずともただ単にプログラムを消去してリセットさせて再利用するか、廃棄処分にすれば良いだけの事となる。

 これではまるでポケモンバトルである。

 戦争には大義名分が必要である。国を守るとか、自国民を保護するとか。兵士は戦地に赴くまでこの考えに納得して、自分の精神を鼓舞して死を覚悟して出発する。しかし機械ならばそんな想いは不要である。プログラムの命令通りに動くまで。まるで将棋の駒のように命令通りに進行する。

 戦力の低下が勝敗を決する判断材料となるなら、敗者の失うものは一体何なのか?敗戦国の人命が全く失われることなく敗戦国が失うのは統治権自由権だろうか?しかし von Krausewitz の著書にある通りに、戦争が政治の継続であるならば、住民の自由権を剥奪する政治は好ましくはない。政治において敗北は罪禍ではないと定義される以上は人権剥奪は不正だ。暴力ではなくとも、前世紀からの経済的な戦争はその敗者に何ら罰を加えてはいない。敗者は経済的覇権を失うだけである。

 となれば、機械のみによる戦争も敗者は講和にて失うものを協定すれば良いと言う事ではないか。こんなに人命を救える戦争行動が出来るならば、早くそうすれば良いのに、今だに人命を伴う戦争に執着するのは何故だろう。それは人命を奪う暴力を戦争のシテが求めているからではないのか?

 

 

 忙しくさせればものを考える機会を失わせる事ができる、これはナチスを筆頭に為政者が国民を牛耳るテクニック。仕事に忙しいのは過酷な労働に繋がるが、そうではなく、1日8時間労働にした上で、アフターファイブの時間を会食や会合、パーティー、ジムで鍛える、チェスや音楽などの趣味の集まりと、何かやらせる事で思考を阻止させるのがナチスのやり方だった。思考を停止させれば政府批判や世の中のあり方を省察する機会が失われて、ナチス政府にとって好都合なのだ。

 反対に考えると、忙しくしていれば考え事などしないでいられる。自分を見つめるのが嫌な人程、忙しい毎日を送りたがるという現実も垣間見えてくる。

 

 

 読書でもマンガでも、音楽でも舞台でも、一回だけ楽しむ、時間が空いたから娯楽に回すというスタンスのものを、わざわざ学術的に分析・分類して整理する理由があるとすれば、その成果は商業的成功を狙っての利用しか考えられない。

個人の趣味で分析・分類する分には「どうぞご勝手に」だが、そんな曖昧で主観的なものを、エンタメ主催者が活用するとは思えない。

けれども、プロのシンクタンクや分析業者(ビジネスマネージャー)に市場調査してもらったら、万年赤字産業のエンタメ業界的にはコストがかかりすぎる。

 そこで視聴者アンケートだの、好事家のサイトだのにご協力を願って、できるだけロハで、金銭的支出をかけずに実態調査をする訳だ。

 

 

激しい疲労に見舞われて身体が睡眠を欲する時、その眠りの先には目覚めがないかも知れないと意識したら、あなたはどんな心持ちで床に着くか?

Wenn du todmüde bist und dein Körper den Schlaf will, mag kein Erwachen nach diesem Schlaf kommen. Mit welchen Gefühl gehst du ins Bett?

Quand tu es mort de fatigue et ton corps veut un long sommeil, tu ne te réveilles jamais peut-être après ce sommeil. Avec comment sentiments vas-tu au lit?